気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

認識共有とは

私は今、かなりの偏食で、周りの人にも認知されつつあります。
みんなが普通に食べるものを頑なに食べないので、かなりストイックと思われているのかもしれません。
でも別に、痩せたいと思って頑張っているわけではないんですよね。
周りには、痩せなきゃ、でも食べるのを我慢するのは・・・という人も多いのですが、そもそもの意識が違うので、減量に具体的に役立つアドバイスが出来ないのが、なんとも歯がゆいというか、なんというか。

私の場合は、結果として太りにくい体調管理をしているだけで、もともとの目的は、健康。そして美容。
最近また失敗をして、少しくらい〜と食べたピーナッツ入りのナッツバーで、三日三晩頭痛に苦しみました。やっぱり豆類はダメみたい。
それ以外にも、身体が重い、ぼんやりする、顔色がくすむ、毛穴が目立つ、などなど、体調の変化を見つけて落ち込むくらいなら、はじめから食べないほうがマシ、と思うものがたくさんあります。

それは、ただ我慢するのとは違って、ひとつの選択。食べない。食べたくない。という意思なのです。
私の中では、なるべく身体に負担をかけないためにはどうすればいいか、ということが一番の基準で、さらに近ごろでは、自分の食べたものが身体の一部になっていく実感も芽生えて、今では、どうすれば私の細胞は喜ぶか、という感覚にまで、なっています。

そうやって、細胞のために食事をする私と、いろいろ食べたいし、でも痩せたいし、という人とでは、本当の意味で会話にならないことは、仕方がないのかもしれません。
お互いさまではありますが、そういう人と食べものの話題になっても、楽しくはないんですよね。
一応、はなしは合わせていますが。

私が今まで得た知識で感覚的に理解していることを、もっと人に解るように説明できるくらいにまで追究していったらいいのかな。
でもそういうものは宗教と同じで、やっぱり興味があって縁がある人じゃないと、相互理解は難しいのかな。
同じ感覚で話せる人と、普通に会話をしてみたいなーと思ったりしています。