気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

不確定状態

今は精神的なことに意識が向いていて、日常の些細なことなど、どうでもよくなっています。

そんな状態なので、なにを書いたらよいものやら。

 

これまで、なかなか偏った生活振り、食事のことなど晒してきましたが、精神的なことについては、かなり慎重に言葉を選んできたつもりです。

日常の生活のことと、精神的なことでは、やはりジャンルが違うかな、と思ってのことでした。

 

そうなると、これまでの内容と、今自分が考えていることが乖離してしまって、この場に書き記すことまで頭が回らない状態なのです。

今まさに、思考の変容の最中に、過去からの整合性を考えながら記事を書くことは、自分自身の足枷になってしまう懸念もあります。

 

私の勝手な、ジャンル違い、という概念を取り払えば、それも私、ということで、この場で公開していくこともアリなのかもしれません。

それについても、今はまだ答えが出ないまま。

 

こんなブログでも、それなりに続けてきたことは私の財産です。

ただ、それを持ち続ける必要があるのか、はまた別の話。

もともと捨てるのが大好きな人種なので、そういう選択肢も充分あり得ます。

今はまだ、不確定な状態です。

 

 

 

 

 

 

 

新ステージ

今年はいつまでも暑いですね。

夏は苦手で、ひたすら暑さに耐え忍び、涼しくなるのを待つばかりの毎日です。

そんな時期を越えて、やっと最近息がしやすくなりました。

 

近ごろ精神的なことに興味があって、学びの最中です。

まずは身近な私自身のことなので、人のこと、潜在意識のことがメインとなりますが、最近は心理学的方面からよりも、スピリチュアル的視点からのアプローチが入ってくるようになりました。

 

感覚的なことなので、なにがどう、とお伝えするのは難しいのですが、新しいことを知るというのはそのまま、自分の成長だと思います。

そういう時期にいるんだな、と思います。

 

おまけ

終了宣言をしながらも、またちょっと洋服について考えていました。

とにかく最近は、思考は現実化するとか、引き寄せの法則とか、潜在意識について考えているので、そういう意味での考察です。

 

結局、今まで私がごちゃごちゃ思い悩んでいたのは、自分勝手なネガティブな思い込みだった、ということですね。

 

服装が思い通りにいかない、自信が持てない、欲しいものが見当たらない、そういうネガティブな感覚のまま取り組んでいても、上手くいくわけがない、というのが潜在意識の仕組みだそうです。

 

そう思って、好きなもの、気に入ったものが手に入り、その洋服を着て、リラックスしていることを思い描きながら、ネット検索をしてみました。

 

そうしたら、買えたのです。

洋服が。

 

たかが、洋服を買うくらい、しかもH&Mのセーターですから、そんなものは今時小学生でも買えるようなものですが、私の近年の精神状態からしてみたら、とても意味のある一歩でした。

 

これを成功体験として、少しずつ、リハビリしていこうと思っています。

そのうち、今日のお洋服、なんて記事を書いているかもしれません。

明るい兆しです。

 

 

終了宣言

洋服に関してはこれまでいろいろ書き連ねてきて、いつも答えが出ないまま、でも、一度触れたことにはその後の現状報告も必要か、と定期的に話題にしてきました。

そのたび、自分でも改めて考える機会を持てたことはよかった、と思う反面、こんなどうでもいいことをうじうじ悩み、さらにそれを垂れ流す自分にも、いい加減愛想が尽きてきました。

 

結局、私の洋服に関しての答えは出ない、というのが結論です。

たぶんこのまま、あーでもない、こーでもない、とぶつぶつ言い続けるんだと思います。

 

よく、なりたい自分に相応しい格好をする、という話を聞きます。

それを踏まえて考えてみても、私は、着心地のよい普段着と、夜のお出掛けに着られるワンピースがあればいいや、ということになりました。

 

いつまでも私が足掻いていたのは、自分の強い美意識との兼ね合いです。

おそらく私は人一倍美意識が強いのです。

でも美意識というのは人それぞれで、私の美意識も、ただの私のこだわりの表れでしかありません。

それを追求していくことが、自己実現とも言えるのだと思いますが、同時に、他者からの評価も捨てられない私がいました。

私のこだわりを追求していくと、たった数着の普段着。

でもそれでは、世間一般のお洒落という概念からは外れてはいないだろうか。

こんな私でも、お洒落に気を遣っている、と認めてもらいたい。

 

だから、いろいろとよく見せようとしながらも、でもそれはただのカモフラージュでしかないので、本来の自分にとっては無駄な労力、ということになります。

だから、洋服を買う熱意もないし、満足もない、ということなんだろうと思います。

 

今の私に出来るのは、白黒のジャージで、これが私、と言えるようになることかな、と思います。

だからやっぱり洋服は買わないし、捨てたい洋服は、私とはエネルギー的に合わなくなったとか、寿命とか、そういうことなんだろうと思うので、捨てようと思います。

 

そして、お化粧と同じく、洋服についても、そんな感じでやっていく、ということで、終了しようと思います。

 

 

 

 

 

捨て欲求

結局、現実味が湧かないと、洋服も買えません。

出掛ける予定もなければ、必死に探すこともせず、新しい洋服を着たくてウキウキ外出をする、という動機もなくて、堂々巡りです。

 

毎回毎回、同じことを言っていて、聞かされるほうも飽き飽きだと思うのですが、また新たな発見がありました。

 

私は、なんだかんだ理由を付けて洋服を買えずにいるのですが、それなのに、捨てたい欲求のほうは確実にあるのです。

 

買わないのに、捨てたい。

自分で言っていても、とても不思議です。

増えていないのに捨ててしまうと、減る一方で、それでは究極、本当に一揃えだけになってしまうので思い留まってはいますが、なんだかもう、捨ててもいいかな、という気持ちにもなっています。

 

あるいは、本当に捨てて、これが破れたら困るから、というくらいに追い込まれないと、次を買えないような気もしてきました。

 

よく、捨てると入ってくる、と聞きます。

私の場合、なんだかその仕組みがとても気になり、とにかく捨てればいいことありそう、と思ってしまうんですよね。

 

世の中では、買うばかりで捨てられない、だからものが増えていく、というのが一般的だと思うので、自分のこの心理をどう理解したらいいのか、判断に困ります。

 

投げやりな気持ちでいるのか、なにか他の深い意味があるのでしょうか。

捨ててみたら、わかるかなーなどとぼんやり考えたりしています。