気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

切り離し

人はなにかしら、他者からの影響を受けています。

それが自分にとってネガティヴに働くとき、どうしても被害者意識が働いてしまうと思います。

 

こういう親だったから。

こういう環境だったから。

こう言われたから。

こうやらされたから。

 

意識が外へ、人へ、環境へ向いてしまって、そこを原因として、嫌悪したり諦めたりしてしまいがちです。

 

でも今回私が気づいたことは、その人や環境と、その行為と、自分への影響は、切り離して考えてはどうだろう、ということです。

 

例えば、多くの人は親から躾を受けて、それが自分のルールになっていることと思います。

でもそれが、子どもの自分にとっては重荷で苦しいとき。

それを与えた親に感情が向きがちです。

でも親も、子どもが憎くてそうしたわけではないはずです。

きっと、よかれと思って大多数に合わせた、教育の意味で行った行為だと思われます。

それを、自分の苦しい感情と、それを与えた親とを結びつけてしまって、いつまでも根に持ち続けることは、はたして正当なことなのか。

そこに意味はあるのか。

 

きっかけはそこにあったとして、今自分がその状態にいること。

そしてその状態に居続けることとは、別物なのかもしれない、と思ったのです。

もしくは、別物として扱うほうが、自分にとっては何倍も意味がある、都合がいい、と思いました。

 

そうやって、他者の影響を認めて、取捨選択をしていくことで、より、自分の中の主体性が増し、自分が自分を生きる、ということ、自分が自分を幸せにする、ということについて、さらに実感が湧いてくるような気がしました。