気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

私の夢

リタイアしたのは犬のため。

間違いではありませんが、それだけが目的だったとも思えません。きっかけのひとつだったんだろうと思います。

よくよく考えてみたら、いえ、考えるまでもなく、私はリタイアしたかった。

それを、お金がないと、とか、働かないと、とか、よくわからない固定観念が妨げていただけです。

正しく言えば、リタイアをしたかったわけではなく、自由になりたかった。

 

会社員でいれば、社会的な身分は保証されるし、経済的にも安定します。

それと引き換えに、組織の秩序に縛られる。

時間的なこと、給料のこと、配属や昇進査定、もちろん仕事の進め方。それから人間関係。

自分の思い通りになることなんて、ほとんどありません。

そこに納得できる理由があればいいですが、ただただ虐げられているようにしか感じられなければ、拷問でしかありません。

私には向いていない、と思いながら、社会とはこういうもの、と我慢するばかりでした。

 

もっとやりがいのある仕事に就けば、もっとお給料が高ければ、天職と思えるような仕事に巡りあえたら、とも考えましたが、答えは出ず。

 

じゃあ、お金や世間体などを考えずに、どういう生活をしたいかと考えたら。

時間に縛られず、誰からも指図されず、自由になりたい。

趣味を続けたい。

それだけでした。

 

きっとずっと前から、私の願望はそこにあったんだろうと思います。

その願いが実現するように、たまたま犬の10歳というタイミングに合わせて、期が熟すように調えられていったんじゃないかと思います。

 

 

実現?

なぜ私が今、悠々自適な生活をしているか。

もちろん、自分が望んだからです。

でも、だからと言って綿密に計画的に、何かをしたとも思えません。

ぼんやりと、貯金が三千万円くらいあったらリタイアしてもいいかなぁとか、そしてマンションを買って〜とか、あーやっぱり一億くらいは欲しいなぁ、宝クジでもあたらないかなぁとか、そんなことを考える日々でした。

やっぱり先立つモノがないと、不安。

 

それと同時に、自分がなにを一番望んでいるか、を考えました。

生活をしていくのに、働いて稼がなきゃいけないのだったら、せめてやりがいのある仕事がいい。

今の生活の何が不満か。どうなれば快適に思えるか。

 

まず、朝起きて憂鬱になるような生活は嫌です。

仕事は嫌いではありません。

でも組織の中で、みんなと同じを強要され、押さえつけられるような息苦しい思いはしたくない。

もっと尊敬できる尽くしがいのある人とだったら、楽しく働けるんじゃないか。

 

自分の居場所がここではないような感覚をもちながら、でもどこへ行ったらいいのかわからない状態でした。

そろそろ限界を感じて、年末にリミットを設定しました。

それまでに少しでも貯金を増やして、やりたい仕事を見つけて、準備を進めようとした矢先。

プチっと糸が切れるように、5月に退職を決めました。

 

まだ、どうなりたいと願望が見えたわけではありません。

ただ、ここではないことははっきりしていました。

 

時間に余裕ができて、人との関わりもぐっと減り、世間の干渉から離れて、自分自身の気持ちと素直に向き合うことができるようになりました。

そして、思い出しました。

 

何年か前、うちの犬が10歳になったら、仕事を辞めて面倒を見ることを最優先にしようかな、と思ったこと。

私が退職を決めた5月の15日に、ちょうどその犬が10歳を迎えたところでした。

偶然?まさか、私の願い通り?

最近はまだまだ犬が元気なので、退職するにしても、もう少し先でもいいかな、と思っていました。そのぶん貯金もできるはず。

そうやって、先延ばしにしようとしていたはずなのに。

それが、ぴったり10歳になってすぐにこんなことになるなんて。

 

なにか特別なお祈りをしたわけではありません。強く願う特別なきっかけがあったわけでもありません。それから毎日片時も忘れずに祈り続けたわけでもありません。

むしろ、あと2.3年は延期にしようと思っていたはずなのに。

私が考えた通りになっている。

希望が現実になっている。

 

もしかして、こういうこと?と具体的に考え始めたのは、これがきっかけでした。

 

スペースを空ける

やっと春らしくなってきましたねー。

近所の桜並木はまだ五分咲きくらいかな?

今週末くらいがちょうど見頃かもしれません。

 

4月にもなったことだし、少し冬の片付けをしました。

居間のオイルヒーターと、寝室に出しっ放しだった布団乾燥機をクローゼットへ。

これだけでも視界が違ってスッキリです。

 

ついでに衣替えも考えます。

夜はまだ寒いこともありそうですが、さすがに4月になったらダウンも封印。

さて、このダウン、どうしよう。

本当は、昨シーズンで終わりのはずだったユニクロダウン。

なんとなく新しいのを買う機会を逃して、今年も着てしまいました。ほぼ毎日!

色褪せも気にならないし、と思っていましたが、5年モノとなると、さすがに生地の引っ掻き跡など、着古し感は否めません。

またこのまま取っておいたら、またうっかり来シーズンも着ちゃうかも。

これは心を鬼にして、潔く手放しておいたほうがよさそうです。

 

ダウンはこれだけだし、絶対必要だし、ないと困るから、と思うと、一着も手元にないというのが心配で、新しいものが見つかるまで、ついつい保険のように取っておきたくなってしまいます。

でもつい先日見た本の中で、スペースを空けておく、というのを目にしました。

そうだ、前にも似たようなことを読んだことがあります。

古いものを手放すと、新しいものが入ってくる。

片付けてスッキリするといいことがある、という断捨離やミニマリズムの効果も同じようなものかもしれません。

 

こうしてこのタイミングで思い出したことも、きっと意味があることだろうと思います。

これは、捨てのチャンスかもしれません。

 

ダウンもお気に入りだったし、絶対必要なものだけれど、もう充分に着たし、新しいものを手に入れる邪魔をするものになってしまったとしたら、それはとても残念です。

 

そうして、他にも古くなったもの、役目を果たしたもの、使っていないものを探します。

それ自体を考えたらまだ使える、使うかもしれないと思って取ってあるものがいくつかありました。

でも、もしこれがあることによって、もっと自分に相応しいものが手に入るチャンスを遠ざけているんだとしたら・・・。

これまでは、あってもいいか、と思っていたものが、あってはいけないものだと知ったら、迷いどころが変わってきます。

もっと素敵なモノに出会うため、と思うと、片付けの勢いが変わります。

 

ハンドバッグやアクセサリー、予備に取って置いた衣類など、思いついたものは潔く。

近頃は、インスピレーションを大事にすることにしているので、頭に浮かんだということは、捨てていいということだと思うことにして、すぐに取り掛かるようにしました。

 

こうしてまた、少しスッキリ。

次にどんなものがやってくるのか、楽しみです。

 

 

 

 

ハラダのチョコ

久しぶりに、おつかいものを求めにガトーフェスタハラダへ行きました。


しばらく見ないうちに、新しいバージョンができたみたい!

ミルクティー色のブロンズチョコレートだそうです。

荷物になるので、自宅用ラスクは我慢して、こちらも初めて見る小箱を買ってみました。


店頭の写真では、3㎝四方のお菓子がみっつ並んでいました。

小さいラスクかと思ったら、がっつりショコラ!


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初めてのブロンズチョコレートも美味しかったし、次はラスクも食べたいなー。


携帯チョコサイズで小さめだし、お手頃だし、気軽なお礼や義理チョコにもよさそうです。

摂理

大雑把というか、遠回しというか。

ながなが書いてきましたが、私の現在の暮らしぶりの根底には、こういう思考回路があるわけです。

私なりの、願望が叶った結果と言えるかもしれません。

あるいは、本当の願い、自分らしい幸せ、に近づいているところ。

そして、引き寄せの作用を実感することを繰り返しながら、信じる度合いを増している最中とも言えます。

つまり、願望が叶うのも、願望を見つけるのも、それを信じるようになることも、すべては同時進行で、スパイラル的に進んでいくような感覚です。

なので、順番通り、ひとつひとつクリアしながら、と直線的には進めない。だから、順序よく説明しようにも、限界がある。

私の文章力のなさもありますが・・・ご容赦ください。

 

難解、胡散臭い、信じる信じない。

様々な思いがあるでしょうが、今この時空で?銀河系で?人間として?生きている限り、無関係にはなれない摂理。

 

これからまた少しずつ、私自身の話も含みながら、私たちの住む引き寄せの世界について、考えていけたらいいな、と思います。