気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

願いとは

願いを叶えるのが難しい、と感じるのと同じくらい、願いを定めるのが難しいのです。

そもそも、願いがなければ結果もない。

あるのは、世の中によくある予想と結果。その他大勢という結果。

 

もちろん、多数派でいてもいいのです。

みんなと同じサラリーマン。でも、自分が望んでそうしていて、そんな自分に満足しているなら、それはとても幸せなこと。

悲しいのは、自分はそうはありたくないのに、そうするしかないと思って我慢して一生を過ごすこと。さらには、自分が我慢して諦めていることすら気付かずに、一生を終えてしまうこと。

知らずに終われば、それはそれで幸せなのかもしれませんが、でもきっと、そういう人はいないと思う。

人は・動物は・あらゆるものは、本能的に自分本来の姿を求めるものだと思うから。

 

だから、違和感を感じて抜け出そうにも、どこに向かえばいいのかわからない。

願いがわからない状態。

願いがなければ結果もない。

願いが叶うなんて、確かめようもないし、試そうとも思わない。

 

願いがない、希望がない、こうなりたいと思う理想像がない、自分の目指す幸せがどれなのかが分からない。

 

この段階が、いちばん難しいと思う。

自分の幸せが分かって願いが定まれば、それが信念となって、自然と成就する方向へ向かう。

 

願いは叶う。

さて、その願いとは、なんだろう。

 

 

 

 

願いが叶う

願えば叶う。

 

これは真実。

この時点で、ありえない、と離脱してしまったら、それこそその先はありえない。

ウソ?本当に?と、疑う気持ちがある人は、充分に願いが叶う人。

嘘かもしれないけど、もしかしたらあるかもしれない、と信じる気持ちがほんの少しでもあるということだから。

 

そもそも、人が、自分の思った通りになっていくのは、本当のこと、当たり前のことなのではないでしょうか。

こうなりたいと思えば、そうなるように努力するし、出来るわけないと思えば、出来るまではやらない。

そうなりたいと思っても、出来るわけないと思えば、なにもしない。

そうなりたいと思いながら、今は遠いところにいたとしても、思い続けることで近づいていく。

そうやって考えていくと、願いが叶わない理由がない、と思えてきます。

 

人には、都合がいいのか悪いのか、無意識、というのがあります。

願いが叶わないことの理由のひとつに、無意識が邪魔をしている、ということもできます。

これは、無意識の中身を全て証拠として上げられない以上、無意識のせいにしてうやむやにしていると言われても仕方がないかもしれません。

それから、上辺の願いを叶えたところで、本当の願いが叶うものではない場合。

例えば、宝くじに当たりますようにっていうのが、そういうものなんだと思います。

あとは、願いが叶うのに相応しい時期を待っている、という理由もつけられます。

だから、すぐに結果が叶わないこともある、と。

 

そうやって、いろんな事情があるにしろ、自分が願ったこと、考えたことは、なにかしら結果に繋がっていく。

だったら、好きなだけ好きなことを願ったらいいと思う。

予定通りに全てが叶うわけではないけど、絶対にそうならないものではない。

お腹が空いたからパンを食べたい、と願って、コンビニで買って食べる。

困っている人を助けたい、と願って、目の前の仕事に精を出し、いずれそういう立場に立つ。

どちらも、同じ原理なのかもしれないと思うのです。

 

 

 

まずは

リタイアにあたり、まず思うのはお金のことだと思います。

私の事情について、明かせないことはなにもないのですが、どこまで説明するか、っていうところでいつも迷って、触れずにきました。

手持ちがいくらで、なにで運用して、どういう節約をして、という小手先の方法論では、何の役にも立たないと感じているからです。

本当に大事なのは、うまくいく、という予感だから。

 

予感、という言葉を使いましたが、識者の著作の中では、思考、信仰、信念、などと表現されているものと同じだと思います。

 

うまくいくと思えば、どんな環境でもうまくいく、というのがただひとつの真実。

だから、いくら貯めて、なにで運用して、どこまで節約をするか、というのは、飾りでしかない。

同じようにやっても、うまくいくと思っている人はうまくいくし、無理だと思っている人は無理。

 

ほら、こういうことを言うとね、大方の人は、ついてこられなくなっちゃう。

もちろん、こんなやり方は乱暴すぎる。

答えだけ教えて、解き方を教えなければ、自力で解くことはできません。

だから、世の中には噛み砕いて説明するために、たくさんのスピリチュアル本とか、成功法則とかの本がある。

私も、いろんな本を読んで試して、ようやく解き方が見えてきたかな?というところ。

それを、その世界の権威が言葉を尽くしてそれでも伝わり切らないものを、私がどうしてこんなところで説明できようか。

 

だから、私のリタイアの秘密は「そこ」にあることはわかっていても、それを説明しきれないなら、触れるべきではないと思ってきました。

 

でも今は、私の生活のほとんどがその予感に繋がっていくことを考えたら、それを抜きに生活を綴ることは難しくなっています。

なんとなく、でしか理解できていない私のいうことですから、まとまらないし、あちこち飛びつつ戻りつつ、になると思います。

そういう拙さも実際の温度として、理解の助けに、興味を持つきっかけに、なったらいいなーと思います。

 

 

 

 

 

今後の方針

ミニマリストブームも去ったように感じます。

私も身の回りの整理をして、不用品はほとんどなくなりました。

あとは都度、役目を終えたものを捨て、必要なものを買い変えるだけ。

淡々と日常が過ぎていきます。

そうなると、いちいち書き記すようなこともなく、ただ繰り返すだけ。

自分自身でも飽きてきたブログですが、それでも一定のアクセスが続いているのを見ると、そう簡単にもやめられず。

間違いを考慮しても、少なからず見てくれくれている人がいるなら、続ける意味があるのかもしれないと思います。

 

とは言っても、目新しいものを買うわけでもなく。

食事にこだわるわけでもなく。

お洒落もしないし、外出もしないし、写真も撮らないし。

なにが提供できるかなぁ、と思うと、私のリタイア生活について、かしら。

それから、これまではあまり傾倒した内容にならないように気をつけてきた、精神論的なこと。

スピリチュアルなと言うべきか、たぶんそういう分野のこと。

こういうことは好き嫌いがはっきりするし、食わず嫌いな人にはわからなすぎる話だと思うので、あまり深く触れないようにしてきました。

でも、今私がこうしていられるのは、そういう手引きの元で、思考の転換があったからだと思っています。

もし、旬を過ぎた私のブログを見てくれる人が、私のような自由を欲する人で、私が自由になった秘密を知りたい人だったら。

そう思って、これからはもう少し、裏側の話もして行きたいと思います。

 

消耗品と定番品

無印良品週間ですが、今回は見送りの予定でした。

カップ入りインナーの、キャミソールはまだ未使用分があるし、フレンチスリーブは出ていないし。

ストレッチTシャツも、まだ入れ替えなくてもよさそう。

その他衣類も見てみたけれど、気になるものはありませんでした。

あと、欲しいものといえば、スリッパ。

最近、スリッパは無印良品のモノをリピートしています。

裏が汚れやすい、ということも言われていますが、所詮スリッパなので、汚れて当然と思って、あまり気にしていません。

洗えることもよさそうですが、丸洗いした後の、乾くまでが大変です。

なので、うちではたまに裏を洗うくらいで、丸洗いはほどんどしません。

そのかわり早めに入れ替えることにして、履きやすさと、そこそこのお手頃価格で、無印スリッパが、我が家の定番です。

 

ただ、スリッパって以外と置いていない店舗が多いんですよね。

となると、ネットで配送注文するか、店舗受け取りにするか、または店舗で取り寄せをお願いするか。

まとめ買いしないと配送料がかかるとか、店舗受け取りには結構時間がかかるので、早めに注文しないと、とか、いろいろ考えているうちに面倒になって、そのままにしていました。

それが先日、たまたま立ち寄った店舗にセール品が置いてあったので、買ってきました。

あまり好みではなかったデニム素材ですが、他に新商品でも欲しい色柄もなかったし、値下げしてるし、もう今履いているスリッパが限界近いし。

こういうのも、消耗品だと思えば、色柄の妥協ぐらいなんともないですね。

きっと、夏にはまた買い替えるんだし、と納得させました。

ただ、こういう妥協に慣れてしまうと、家中ちぐはぐで落ち着かなくなってしまうんだろうなあ。

 

気軽に新調できるっていうのも魅力ですが、そういうものこそ、変わらない定番品であってほしい。

もしくは、長持ちするなら、高くても気に入ったものを選びたいと思う。