気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

束の間の

このところ、物欲が落ち着いています。
ちょこちょこ、新しい環境に合わせて、こんなモノがあったら便利かな、とか、そろそろ買い替えの時期かぁ、みたいなものはありますが、憧れ焦がれるような物欲とは、ちょっと違います。
必要を感じて、モノを探すのとは違い、理性で説明できないような欲。
その時の感覚を言うなら、
「どうしよう!欲しい!」

なにが「どうしよう」なのか・・・。
それは、困るくらいに欲しいのか、その衝動を説明できないことが困るのか、よくわからないけれど、なんだか困った気分になるのです。

そんなことがしばらくないなーと思ったら、そういった対象を、すっかり手に入れてしまったのだということに、気が付きました。

私の場合、そういう欲はだいたい靴やバッグに向けられるのですが、欲しかったジミーチュウのバッグもパンプスも買ってしまったし、ついでにスリードッツのセーターもセールで買っちゃったし。
今のところ、満足している状況です。

あれが欲しいーと妄想する時間もきっと楽しいのでしょうが、でも「どうしても欲しい」と思うものは、いつまでも悩み続けるよりも、買ってしまったほうがいいような、私はそんな気がします。
いつ買うか、みたいな、タイミングを計るのならともかく、買ってもいいかな、どうしようかな、と悩むのは、どうしてもネガティブな考えになってしまう気がします。
それなら、そのときの出費の衝撃と引き換えても、その後の満足感の中での生活のほうが、はるかに自分にいい影響を与えられるように思います。

欲しい欲しい、と外に求めるのは、今持っていない、という欠乏感を感じさせることなのだそうです。
もちろん、世間一般の金銭感覚(支払能力)を備えたうえでの判断ですが、ナイナイ、という状態と、持ってる、という気持ちの余裕のある生活とでは、自分では気がつかない程度でも、きっと違いがあるんだろうな、と思います。

何度か清水の舞台から飛び降りてみたら、飛び降りる怖さは一瞬。
意外と、落ちてしまえばまたすぐいつもの生活に戻っているものだなあ、というのが私の感想です。
遣ってしまったお金というのは、良くも悪くも、割とすぐに忘れてしまうものなんですね。

今はそんな感じですが、いつまた欲しい病が発病するかわかりません。
そのときに備えて、今は静かに生活していきたいと思います。




まつげ美容とビューラー

細々と、まつげ美容液を続けています。

今は、フローフシのもの。

 

 

なんだか、まつげが増えた気がするし、伸びた気がするし、気のせいであっても、自分なりに変化が嬉しく、おかげで使い続ける気持ちにもなります。

フローフシはもうブランド終了らしく、まつげ美容液もなくなってしまうかと思って、珍しくストック買いをしました。

それもなくなったら、また他のまつげ美容液を探すかもしれません。


そうやって、最近まつげを気にしていたら、まつげが増えたはいいけど、向きがバラバラ。

一応ビューラーで持ち上げていますが、よく見ると、挟みきれなかったまつげが横向き、下向きに残っています。

まあ、そんなによくよく見られることもないし、これまでも気にしたことはなかったのですが、一度見つけてしまうと気になるもの。

そうしてビューラー扱いに四苦八苦していたら、ビューラー自体の傷みにも気づいてしまいました。


なんだかんだと、おそらく20年ほど所持しているかもしれないビューラー。

これもいい加減、買い替えか、と思って、他を探してみたりしましたが、ふと考えてみたら、ビューラーって、いる??


今まで、惰性で使っていましたが、なくてもいいような気がしてきました。

もともと、まつげの生え方に癖はないから、上げなくても不都合はありません。

そして、今更クルンと上向きまつげで可愛さを装う必要はなく、むしろ自分はそういうタイプじゃないよね。

今はマスカラも進化しているから、気になるなら、マスカラで持ち上げるように使えばいいんじゃないかと思ったりして。

そうすれば、この嵩張るビューラーを保管する必要もなくなります。


いっときは、マスカラをやめてビューラーのみ、のつもりでビューラーを残しましたが、今は逆の気分です。

ビューラーもそろそろ限界だし、しばらくなしで過ごしてみようかな、と思います。


ちなみに、今はビューラーとは呼ばないのですね。正しくは、アイラッシュカーラー

なるほど、時代は変わっています。







 

犬の不調

お正月に私が体調を崩し、今度は犬が。
お腹を壊してしまったようで、でも食欲も元気もあって、すぐに回復の様子をみせましたが、歳もトシなので、一応病院に行きました。
ひとまず、大事ないということで、ひと安心したところです。

原因の特定は出来ず、ストレスかな?ってことになりました。
私の不調がうつったか、と思ったり、あとは最近寒いので、お腹が冷えたのかと思い、暖房をフル稼動させています。
私が仕事を始めてからは、ひと月ほど経っているので、そのせいとは思えないけれど、積み重なったストレスが出た、ということもあるのかもしれません。

こうなってみて思うのは、こういうときのために仕事を辞めたのに、ということ。
もちろん、新たにアルバイトを始めるときにも、この理由を忘れていたわけではないですが、でもまだ犬は元気だし、私もいい加減暇だし、と考えてのことでした。

こんなことになるなら、アルバイトなんて始めなければよかった、と思いつつ、アルバイトを始めなければ、たぶん犬も体調を崩すこともなかっただろうことなので、家にいたなら思う存分看病できたのに、という理屈は成立しない、とも思います。
そして、あのままお互いストレスなく家にいる生活を続けていたなら、犬も変わりなく元気で、だからやっぱり、ちょっとくらい外に出ても、と思っていたと思うので、結果、今の状況に変わりない、ということになります。

そう、後悔なんてしても仕方ないのです。
同じくらい、未来を予測しても仕方ないのです。
思うようにならないのが、人(と犬)の生ですから。
今一緒にいられる時間を大切に、社会生活との折り合いをつけつつ。
自分にとっての「大事なもの」を見失なわないように、その時その時の最善を選んで生きるしかありません。




脳の仕組みとうざいオバさん

仕事場の先輩に対して失礼かもしれませんが、でもやっぱり、年下は年下なんだもの。
「若者」として見てしまうし、ジェネレーションギャップとか、感じてしまうのは仕方ないですよね。

とっても差別的な言い方だとは思いますが、「若いのに」って、本当に言いたくなるんですね、年寄りは。
自分が年をとると、よくわかります。
何事も、年齢は関係ないじゃないか、と思いますが、でもたまには年齢のせいにして、若いから仕方ない、みたいな納得の仕方をすることもあって、その反動もあるんじゃないかと思います。

あと、若者は覚えがいいといわれるのも、なるほど、と思います。
でもそれは、老いて覚えが悪くなる、というよりも、長年積み重ねてきた経験があるからなのかな、と最近思いました。
パソコンが、経年によりだんだん遅くなるのに似ているのではないかしら。

年をとると、なにをするにしても、過去の経験を思い出すような気がします。
それは、意識するしないに関わらず、人間の脳の仕組みがそうなっているんじゃないかな、と思うのです。
なにかを学習する判断する記憶する。
若いうちは、データが少ないから割と早く処理できる。
でも、長年生きて、沢山の経験を積んでいれば、それらに紐づけて覚えようとするし、それらも含めて判断しようとするし、そうすると処理にも時間がかかったりする。
実際今の私が、新しいことを覚えようとすると、過去のいろんなことを思い出すのです。
こういう仕事もしたな、とか、考えるとはなしに、かつての記憶との共通点を探していたりするのに気付きます。
きっと、無意識ではその何万倍も繰り返しているのでしょう。回転も遅くなるはずです。
もともとは人間の本能的な、危機回避のためのシステムが、そういう働きをしているのではないのでしょうか。
そのおかげで、経験の少ない若者よりよい判断ができたり、あるいは過去の失敗から臆病になったり。間違って作用すると、過去に囚われた頑固者になってしまったりするのは、こういうカラクリも関係しているのかもしれないな、と思います。

同じように、若者を見ていると、かつての自分自身を思い出されることがあります。
意味もないのに、勝手に比べていたりするから「若いのに」なんて言葉も出てきてしまうのかもしれません。

自分も年をとって、理解できることも増えたけど、自分がそちらの仲間入りをしていることも事実。
思い出すのも、関連づけるのも、比較するのも自由だし、それが人間の性なら仕方ない。
でも、それを口に出して言うか言わないかは、理性的な部分で判断できるはず。

年齢にこだわらず、年齢も含めてその人の個性、として、人と付き合えるようになりたい。
せめて、うざいオバさんにならないように、自戒して生きていきたいと思います。



オバさんレベルアップ

アルバイト先には、学生さんもいらっしゃいます。
学生さんなんて、街で遠くから見ることはあっても、直接お話しする機会などもう何年もありません。
10年前ならまだ、お姉さん気分でいられたものの、今はもう母娘ほどの年の差。
向こうからしてみたら立派なオバさんですが、私自身、オバさんらしい振る舞いをしたことがありません。
普段自分より年上の人とばかり接しているので、若輩者として居ることが常で、自分が年長者となったときの自分自身の立ち位置というか、若者との距離感が掴めないのです。
もちろん、仕事のうえでは先輩なので、そこを迷う必要はないし、若者仲間に入りたいわけでもないけれど、私自身初めての環境と経験で、勝手に戸惑っているだけです。
そこは、学生さん達のほうがずっと慣れていて、自然。
おかげで最近ようやく、気負うことなく、オバさんとしての自分、でいられるようになってきたと思います。
きっと、自分で自覚しているつもりでも、他人からそう扱われていることを実感して、受け入れる、ということには、低いようで高い壁があるのでしょう。
小さい子におばちゃん、と呼ばれてショック、というアレですね。
私も今ごろですが、またひとつ、人生の階段を登りました。