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気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

友人

唯一の友人と呼べる人がいます。

という表現は、ニュアンスとして正しくないのですが。

正しくは、友人と呼ぶしかない、ただ一人の人。

 

ややこしい話ですが、私は人づきあいがマメなほうではありません。

職場の人とは会社では話しますが、仕事を辞めればもう会うこともない。

とにかく「今」関係のある人としか付き合いがないので、私の保有アドレスは、親戚、業者、趣味関係など、何かしらの所属分類ができる相手ばかりです。

 

その中で、唯一どこにも属していない人。

過去の趣味関係の人で、今はなんの関わりもない人です。

どこにも分類できないので、ただ「友人」と呼ぶしかない唯一の人です。

 

なぜ彼女との関係が継続しているかというと、関係がなくなったあとも、毎年必ず誕生日におめでとうメールを送ってくれるから。

おめでとうと言われると、ありがとうと返信するし、その流れで会いましょうと言うことになり、年に一度会う程度の関係が、もう4.5年続いています。

私から連絡することもないのに、変わらず忘れずに連絡をくれるなんて、とっても貴重な人です。

 

唯一の友人、というと、かけがえのない唯一無二の大切な人、というイメージですが、残念ながら、そういうわけでもありません。

正直に言って、今はお互いの生活に共通点がないので、会っても話すことがないのです。

むしろ、よく話をした5.6年前のイメージで話されるので、現在の私には戸惑うことばかり。

そんなことあったっけ?とか、今更その話?みたいな。

過去を蒸し返されるようで、あまり気分のいいものではありませんでした。

 

昔馴染みの友人とは、過去も全部知っているから説明の手間がないとか、自分をよく知っていてくれるとか、人生のバックアップをとるみたいに自分の出来事を話しておきたいとか、そういう感覚がまったくない私。

私の過去は私だけのもののはずなのに、それを一時聞きかじっただけの人が、全く別の環境で別の重みで別のルートで保管してきた過去として知らされるのには、違和感しか感じません。

 

もちろん、相手に悪気がないこともわかりますし、私が神経質すぎるんだと思います。

いくら自分に関することでも、人の受け取る印象や、記憶までコントロールできないことはよく分かっているはずなのに。

昔のことなんだから、そうだっけ?と言って聞き流してしまえばすむことですが、そうなることが分かっていながらまた会うというのも、とても気が重いのです。

 

せっかく連絡をくれたことには、感謝の気持ちでいっぱいです。

自分から誘うことはまずないので、お誘いがあればなるべくお付き合いをするようにはしています。

ただ、行きたくないなあ、と思ってしまったら、会う理由は何もなくなってしまいました。

そうやって、いつでも過去を切り捨てて生きていくことは自分の弱点なんだろうか、と考えたりします。

こういうことになるから、余計な話はしないほうがいい、という教訓にもなります。

 

 

 

 

 

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