気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

お洒落とは

イメージコンサルティングを受けて、カラー診断も受けて、でも、結局元に戻ったな、というのが感想です。
もちろん、ひとりでぐるぐるしていたときと、他者を通した経験をした、という意味では、自分の中での認識の違いは間違いなくあるはずなんです。

でも、結局出てきた答えは同じだった、ということです。
好きなものは好きだし、好きじゃないとテンションも上がらないし、実際、こっちのほうがいい、と感じていた感覚は、そのままこっちのほうがいい、ということだった、と。
自分の感覚が間違っていなかった、という安心感もありつつ、ちょっと物足りない気分でいるのは、もしかしたら、もっと違うパターンの自分が出てくるかも、という期待があったんだろうな、と思います。

本当に、自分に似合うもの、と選んでいくと、私の骨格も顔もライフスタイルも、そうそう変わらないので、同じところに行き着くのですよね。
ということは、大体同じデザイン、タイプ、色柄、にたどり着いてしまうのです。
でも、それではつまらない。

そのつまらなさを解消したくて、ぐるぐるしていたんだと思います。

私にとってのファッションとかお洒落というのは、私のスタイルからどうやって外れるか、というチャレンジを意味しているのかもしれません。

ギャップとか意外性とか、そういうところに全力を向けるならば、そういう生き方もあると思います。
でも、それも私のバランス感覚では振り切れないんだな。
そのジレンマ。
それが、私のファッションにおける自己不一致感なんだろうと思います。

お洒落を、自分に似合う、と定義するなら、それはもう、この何十年の生活の中で培ってきた経験で充分。
それ以外のもの、そもそも自分にないもので自己実現を図ろうとするから、どうにもならなくて迷子になるんですね。

最近、また自己啓発とか精神的なことに意識が向いているので、こういうところでも自己分析の視点が働いているようです。