気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

アイデンティティの危機

久しぶりに外に出ようと思ったり、洋服を見てみたりして、そこでまた、迷いが生じてきました。

お店でも、なんとなく、これなら着られそう、というものはありましたが、でも本当にこれでいいの?という疑問が湧いてきます。
コレ!という出会いではなかったということもありますが、結局、自分の好みや慣れから、似たようなものを選んだとしても、本当に自分に合っているのか、と言われると、自信がありません。

そもそも、私の好みは私の主観であり、外見はもっと客観的なもののはず。
もちろん、こう見られたい、という意図があっての選択ならともかく、たぶんこれ、この程度、という自分の思い込みが、セルフイメージの邪魔をしている可能性も、ないわけじゃないのですよね。

そう。ここでもまた、セルフイメージが出てきました。
なりたい自分、本来の自分、人から見られている自分。
この辺りの統一性が、今問われているわけです。

もうすっかり、出掛けることも人と会うこともなく、流行り廃りも関係なく、ただただ、仕事のための服とスニーカー。
お洒落とは無縁の、ただの被服。
裸体を晒さない文化圏での、超常識的配慮としての、覆うもの。
そんな状態で何年も過ごし、ただでさえ鈍かった感覚が、もうまったく働かなくなっているような感じ。
リハビリにファッション誌を見てみるものの、情報量が多すぎて、かえって混乱します。

さらに私は、骨盤矯正をしたことで腰回りにボリュームが出て、手持ちのズボンがキツくなったりして、合うシルエットも変わっているのかも、という懸念も出てきました。

洋服はアイデンティティだ、と言っていた人もいましたが、まさに今、私は、アイデンティティの危機です。