気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

最期の準備

老犬のお世話で、いちばん大変だったこと。
うちの場合は食べものでした。
もともと食べムラがあり、そこに加えてお腹の不調。
あれこれ試してはみるものの、食べるのは初めだけ。
そのうち飽きたりまたお腹を壊したりしながら、どんどん痩せていきました。
何なら食べるのか、何を食べさせたらいいのか。そんなもの、私がいくら考えてもわかりません。
買っては捨て、買っては捨て。
試してみるしかないとはいえ、大量のゴミにうんざりし、お金ではないと思いつつ、積み重なる金額に悲しくなったり。

犬がいなくなったら、犬関係のあれもこれも要らなくなるな、とか、旅行にも行けるな、とか、そんな未来のことを考えるのは、まだいいのです。
そんなことより、食べるか食べないかわからないものを毎日のように買い、匂うだけで一瞬でゴミになる。
それをいつまで続けるのか。
どうせこれも食べないし、と思う気持ちと、どこまで尽くせばいいのか、という問題。
食べないと死んでしまうという当たり前のことと、食べない相手にどうするか。
病院で点滴をするのが愛なのか、無理矢理食べものを押し込むことが義務なのか。
こんなことをいつまで続けるのだろう、と思ってしまうことに、胸が痛みました。

そろそろ、買いたい食料も見当たらなくなり、当の犬も食べない、口を開けるのも嫌がるようになって、やっと、肩の荷が降りた気分になりました。

どんな生き物も、生き返らせることはできません。
これから死んでいこうとしている者に対して、なにをどうしたって、死は確実です。
静かに確実に、終わりに向かって準備しているものに、無理矢理食べさせることに、どれほどの意味があるのかな、と思うと、諦めることへの罪悪感も、少しは救われる気がしました。

幸い、痛い苦しい様子はありません。
あとは、その時を待つばかりです。