気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

あの頃は

スカート作りにちくちく針を動かしていたとき、昔のどうでもいいことなんかを思い出したりしました。
もともと、私は執着心が薄いほうで、モノも人も思い出も、過ぎてしまえばどうでもよくなります。
過去になにがあろうとも、これからを決めるのは、今の自分。
過去の出来事が今の自分に影響を与えていることは否定しませんが、それよりも今、どうするか、のほうが大事。むしろ『今』にしか興味がないくらいです。
でもちょっと、思ったのです。

あの頃はよかった、と聞くことがあります。
私はこんななので、そんなこと考えたこともないのですが、例えば。
今の平凡な日常。きっと、この先もある程度想像のできる人生。
決して不幸ではないけれど、可もなく不可もなく、ただ過ぎていく毎日の中で、自分が生きる理由を考えるとき、あの頃はよかった、と思うことで、自分の人生に意味を持たせているのかも。
実際に輝かしい出来事がなかったとしても、どこかを特別に設定して、自分にもいい時代があった、と思うことで、自分が生きてきた人生にも意味があったと思える。それが、これからを生きる力になる。
そういう意味もあるのかな、と。

そうやって考えたら、私のどうでもいい過去も、実は『よかった』のかも。
いいことも、悪いことも、その時には今と同じように、
過去になにがあろうとも、これからを決めるのは、今の自分。今、どうするか、のほうが大事。
と、精一杯生きていたはず。
今思えば不遇な時代にも、日常の中に小さな幸せがあって、こんな人生も悪くない、と思っていたはず。

これまで、過ぎたことにはなんの価値も感じてきませんでしたが、私の過ごしてきた全ての時間が『よかった』と思えたら、私の人生がとても素晴らしいものに思えます。
今、幸せだな、と思う瞬間があって、それは過去にもたくさんあって、そうじゃない時間も、やっぱり大切な自分の人生の一部。
そういうものを、私はたくさん持っている。

いろんなことを経てきた『今の自分』が全てだと思ってきたけれど、人生というのは積み重ねでもあるんだな、と感じたら、私がこれまで大事にしてきた『今の自分』に、厚みが加わったような感覚です。
そして、これまで軽んじてきた過去の全てに価値を見出したら、人の人生というのは、こんなにも尊いものなんだ、と思ったりしました。

ずっと、私はこれまでの人生を全て受け入れていると思っていたけれど、そうじゃないな。ただ、黙認してきただけ。
過去を過去として、どの瞬間も愛おしいものとして大切にできることが、受け入れるということなんだろうな、と思います。

『今』が大事。
『今』を更新し続ける生き方に、たぶん変わりはないと思う。
ただ、これまで積み重ねてきた『今』の厚みを背中に感じること。
それだけでも、なんだかこれまでと違う自分になれる気がします。