気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

納得の出費

思えば、私はこれまで、お金を使うことに罪悪感を感じていたような気がします。
使途よりも、いくらの出費、という金額のほうにばかり気がいってしまうような。
したい、欲しい、それによって得られる幸せよりも、出費を厭う気持ちのほうが大きかった。

洋服やモノを減らしていくなかで、迷って悩んで、でも最終的な判断基準は、いつでも自分自身でした。
私が、いいと思うか、使うか、必要か。
それを繰り返すことによって、自分自身の価値観が、より明確になっていったのではないかと思います。

かつて、ルブタンのブーティを買ったとき、すごく悩みました。
欲しい、と思う気持ちはもちろんありましたが、それを一般論に当てはめて「買い」かどうかを考えてみたり、その金額にビビって、買ってもいいものか、躊躇ったり。
結局、買うときも、目をつぶって買うような、博打のような、当たって砕けろというような気持ちで、恐怖心を誤魔化しながら、という感じ。
買った後も、環境が変わり、売ろうかどうか悩んだり、そのときにもまだ、自分の判断に自信が持てないままでした。

それが、今やっと、買ってよかった、と思えるし、今回のジミーチュウのパンプス購入にも繋がりました。

金額は張るものだけれど、本当に欲しいもの、気に入ったものを買った、持っている、という気持ちは、他にはないものです。
1万円くらいなら、と大して着もしない洋服を買い、数年後には特に思い入れもなく、もったいないなーと後悔しながら捨てる。
これまでのそういった出費を考えたら、決して高い!と単純に言い切れない、とも思うのです。

例えば、お付き合いで飲みに行って、一万円の出費。それが何回分?とか。
飲みに行くのが好きな人は、その出費がなによりも大事。
でも私は、飲みに行くよりも、あの靴が欲しい。そういうこと。
お洒落好きな人は、毎シーズンの流行が大事で、数年前の服や靴は着たくない履きたくないかもしれない。
でも私は、流行よりも自分の好みが大事で、特に靴へのこだわりは大切にしたい。そういうこと。

それが、私の価値観なんだと思えるようになりました。
本当に好きなものが手元にあること。
いつ履くかはわからないけど、でもいつでもお気に入りの靴が履けること。
特別な日じゃなくても、特別な靴を履けること。
そういうことが、出費の金額だけでは計れない、私だけの満足度。
それがわかった今は、ただただ、幸せな気持ちで、お買い物ができました。

お金は使う方が難しい、というのは、こういうことなのかな。
最近やっと、金額よりも「それによって得られるもの」を見られるようになってきたかな、と思います。