気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

頭からっぽ

頭をからっぽにする訓練をしています。

ひらめきを大事にするとか、第六感を鍛えるとか、潜在意識を活用するとか、そんなことだと思うのですが、色々考えて決めかねる、優柔不断なところのある私には、なかなか新鮮な感覚です。

ただ、考えることをやめると、わざわざ言葉にして綴るような内容がないので、記事にならない、というのが難しいところです。

何をするにも、思いついたからなんとなく、いいなと思ったから、と、それにまつわる話が膨らみません。

感覚だけを頼りに生きている感じなので、いちいち説明ができないのです。

 

今までだったら、読めない未来を想像して悩み、でも結局未来はわからないので、確実な選択はありません。正解のない問題を問い続けているようなものです。

自分なりの最善の選択をしたつもりで結果を迎え、それに安心したり反省をしたり。

過去の自分を採点しているような感じでもありました。

それが、何も考えないことにすると、今思いついたことがすべて正しいという前提があるので、何をするにも迷うということがなく、その結果がどうなろうと、それもまた何も考えずに受け入れるだけ。実にシンプル。

やっぱりこっち、と思えば、新たにやればいいだけのこと。

特に、自分のしたことの結果に一喜一憂することがないというのは、とても大事なことのような気がします。

自分を責めることなく、受け入れられている感覚。

こういうのを、自己肯定感というのかな、と思ったりしています。

 

迷ったり比べたりする暇がないというのはとっても身軽で、今まであれしてこれして、と計画をしていた間に、その用事が終わってしまっていることがほとんど。

今までずいぶん余計なことを考えていたんだな、と思います。

そして、雑念がないと、必要なときに必要なことが自然と浮かんでくる。

例えば、帰り道に今日はスーパーに寄ってあれを買わなきゃ、と朝から思っていたのに、帰りの電車でも考えていたのに、電車を降りたとたんに忘れてそのまま帰ってきてしまう、なんてことがあったのが、今ではそんなこと一日考えもせずに過ごしていたのに、電車を降りたら急に、あ、あれ買って帰らなきゃ、と思い出す、とか。

今まで買い物メモをしていたのに、それを見るのも忘れて買い忘れる、ということがありましたが、今はメモがなくてもスーパーで思いつくまま買うだけで、あれも買ってくればよかったーとなることがないという不思議。

すごく小さなことですが、これこそ、ひらめき脳の兆しだと思うのです。

今では、考える前にやってしまう。迷うようなら、やらなくていいことなんじゃないか、と思うようになりました。やらなくていい、と決めてしまえば悩むこともなく、そんなことはすぐに忘れて、また頭からっぽに。

今までは、行き当たりばったり、と好きではなかった行動ですが、次は何がでるかな、と楽しめるようになっています。