気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

頭の隙間

時間があるとき、気が向いたとき。

最近は、神社に参拝しています。
特筆するほど「御利益!」と思うようなことはないのですが、そのうちいいことあるといいなぁ、とやっぱり見返りは求めてしまいます。
 
いろいろ本を物色したりしていますが、奥深い世界のこと、学びの入り口から難しい。
それでもときどき、なるほど、と思うことがあれば、参考にしたりしています。
 
この間見つけた一節には、頭の中にスペースを作る、というようなことが書かれてありました。
神さまから話しかけられても、自分がどうでもいいことで頭をいっぱいにしていたら気付けないでしょう、ということらしいです。
第六感とか、そういうことだと思うのですが、確かに、私の頭の中はいつも、くだらないことでいっぱいです。
あっちのスーパーが安い、とか、明日は洗濯どうしよう、とか、あの人に連絡しようかな、しないほうがいいかな、とか。
アレを買うかどうしようか、買ってもいいかな贅沢かな、買うとしたらどこで、いつ?他にいいものはないかな、とか。
私としては、想定できるリスクはなるべく回避したい、という理性的な行動をしているつもり。
だって、買い物した帰り道にもっといいもの、お得なものがあったら、ショックじゃない?
そうやって、試行錯誤、比較検討、あれこれ悩むのが好きでもあるのです。
 
でも考えてみたら、そうやって最善の選択をしたつもりでいても、結局は自分の考えること。たかが知れているのかも。
もっと広い視野で、それこそ神さまの視点で見たならば、今日少し損をしたからと言って、なにかを失うわけではありません。
むしろ、目先の利益に捉われて、大切なことを見落としてしまうことのほうが損失かもしれないのです。
 
好きでそうしていることではあっても、優柔不断なところでもあるのは自覚しています。少しでもそういう直感力を磨けるならば、そんなふうになってみたい。
そう思って、なるべく小さなグダグダは考えることをやめて、頭にスペースを作るように努力しているところです。
 
すると、なんにも考えずにいる、というのは、結構暇なんですよね。
頭を空っぽにしていると、することがなく、思いつくままなんでもさっさとすませてしまうので、どんどん用事が片付いていきます。
まだ慣れなくて、一日の長いこと。
時間がたっぷりに感じるせいか、日が経つのもゆっくり感じます。
暑くなるのが早かったせい、ということと、さらにこの頭を空っぽにして過ごしているというのも手伝って、時の感覚が変な感じになっています。
 
あとは、この空いたスペースに素敵なアイデアが降ってくるのを待つばかり。
なんかいいことないかなー。