変化をつくる
タオルにしても衣類にしても、他のいろんなモノについても、最近は寿命ということを考えます。
ナマモノだと、劣化の見分けは割と簡単です。
でもそうじゃないモノたちは、ある意味、自分たちが決めてしまうことになる。
そういうことまで含めて、そのモノを所有するということなんでしょうね。
ほぼ毎日着ているTシャツを処分しました。
縫いしろの重なる部分が色褪せて、劣化を感じさせます。
こういうものは、外で人様に見られて恥ずかしい、という身だしなみの意味もありますが、最近はそうではない部分も考えるようになりました。
衣類でもなんでも、自分の触れるもの、身の周りにあるもの。視界に入るもの。
そういうものすべてが、自分自身に影響しているということ。
そのモノのエネルギーとか、波動とか、そういう目に見えないもののこと。
感じる、というところまではいきませんが、そういうものがあるんじゃないか、と思いつくくらいのところにいる感じ。
新しければいいというものでもないでしょうが、くたびれたモノを気にせず使い続けることは、きっと自分のためにはならない気がします。
それならば、モノのエネルギーを借りることで、物事が上手くいくようになることもあるんじゃないかとも思うのです。
目に見えないものを、見えないなりにも意識するようになると、すべてが繋がっているという考え方も、なんとなくわかってくるような気がします。
誰が見ていなくても、いいことをすれば自分に返ってくる、というような。
片付けをすれば運気が上がる、とか。
新年には新しい下着を身に付ける、とか。
私たちが説明できる以上の繋がりで、確かに影響しているのかもしれないなあ、と思うのです。
努力は大事。
でも、自分の力の及ばないこともたくさんある。
人事を尽くして天命を待つ。
変えられないことを受け入れる。
・・・それがもし、自力では変えられないことすらも、変化させる方法があるとしたら。
ほんの小さな気遣いで、流れを変えられるとしたら。
ジンクスのように、半信半疑でやってみることなら誰にでもできる。
さらに、そこに明確な意図を込めて、そうなるように働きかけていったら?
そこまで尽力するかどうか、が、運命の分かれ道なのかもしれない。
そして、ただ待つだけでは落ち着かないときに、まだ何かできることがあるというのは、気安めにもなりそうです。
そんなふうに思うと、一見関係のないように見える事柄も、おろそかにはできないな、と思うし、そういうことも利用できたら、人生の可能性はもっと広がるのかな、とも思います。
人生は些細なことの積み重ね。
いつ、どんなときでも、胸を張っていられるように。
気づいたことから実践していきたいと思います。