気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

向上心

何年も前ですが、当時同じような環境にいる人と話した時のこと。

現状に満足することも大切だよ、と諭されました。

でも私にはピンと来なくて。

思い通りにならないとしても、できる範囲で努力し続けることが人生なんじゃないか、と思っていた私には、物足りない、と感じたものでした。

足るを知る。

向上心。

それ以来、このふたつの関係性が、私の中の命題のひとつになっています。

 

私の中では、そこで満足してしまうと、意欲も成長もなくなってしまいそうで、もっと言えば、適当なところで手を打つ言い訳のようにも聞こえてしまうのです。

世の中のいろんなサービスは、もっと優しく、どうにか便利に、と試行錯誤を重ねた結果だと思う。

これくらいで十分、と思っていたら、できなかったことがたくさんあると思う。

でも、だからと言って、追求することだけが偉いわけではないこともわかります。

そのことで弊害があるなら、そこは諦めるべきだと思うし、でもまたそこから方向性を変えて、模索していくことが新しい可能性を広げていくはず。

そうしたら、どこで満足する暇があるんだろう、と。

たとえ、今がそのタイミングではなかったとしても、いつかを夢見ることもやめてしまうのか、それが本当に幸せなことなのか。

 

ただ、そう思い続けることは、足るを知った満足感や達成感を一過性のものにしてしまう、ということでもあるのかもしれません。

いつまでも求め続け、追い続けることになって、そればかりでは疲弊してしまい、向上心だけでもやっぱり、幸せの実感は薄らいでしまうのかもしれません。

まだ足りない、もう少し、もっと、と手を伸ばすごとに到達点を押し上げていくように、これでよし、とすることができないから、自分に自信を持つことも難しいのです。

 

向上をモットーとする人には、足るを知る大切さに気付く。

現状に満足した人は、さらによりよく居続ける努力を忘れない。

そういう、補完し合う関係なのかもしれない、というのが、今の私の考えです。

 

人それぞれ、分野によって求め続ける部分と満足している部分とがあることもあると思います。

追い求めることが大切だ、と信じる私も、そういえば食に関しては、人並み以下の基準で満足できてしまいます。

いろいろなところへ食べ歩いたり、レシピを研究したり、たくさん食べることに情熱を傾ける人がいる一方で。

そういうバランスも、それぞれの人の中であるんだろうな。

 

向上心を持ち続けることはやめない。

頑張れるときは頑張る。

疲れてきたら、ペースを落とす。

それから、たまには自分の過去の軌跡を確認して、労うこと。

そうやって、道半ばでも幸せを感じられるように、まっすぐ立っていられるだけの自信を持てるように、自分自身を扱えたらいいと思う。