気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

肌状態

肌断食は、継続中。

ただ最近は寒くなって乾燥してきて、引きつったりするほどではなくても、かさつき気味なのが気になっています。

ワセリンでおさえたりもしますが、外から塗ったところでハリツヤは補い切れませんよね。

ふと鏡を見たら、疲れた顔。

えーー。

ハードワークでもなく、毎日十分すぎるほど睡眠をとっているのに。

ストレスもなく、毎日自由に好き勝手しているだけなのに。

『老い』ですね。

加齢だ・・・。

 

これまでなんとなくやり過ごしてきて、体型の太った戻った、くらいは気にしていましたが、顔の衰えはそこまで気にはしていませんでした。

まだ大丈夫、くらいに思っていたのに、もうさすがに認めざるを得ないかも。

法令線とまでは言いたくないけど、この影。この間までとはなんだか違う頬。

目に見えない重力を感じます。

 

自然の変化、と思っても、やっぱり少し寂しいです。

これからどんどん皺が増えて、落ちていくんだなあ。

これから知り合う人たちは、オバサンの私しか知らないようになるんだなあ。

老いが醜いと言うつもりはないけど、老いは素晴らしいことだ!と励ましてみたところで、なんとなく漂う悲壮感。

昔はもう少しマシだったんだよって、写真でも見せたくなったりするかしら。

素敵な写真を用意しておいたほうがいいかしら。

皺もシミも誇らしく、幸せな人生の記録として、いつでも胸を張って老いていきたい、とは思っていても、若さの美しさも捨てがたい。

 

いやいや。もう少し何かできるんじゃない?

今では、化粧品に頼ろうという気持ちはありません。

せめて口角をあげるとか、筋肉を鍛えてみるとか。

そういえば、数か月前から美容系のサプリメントをやめました。

もしかして、その影響かも!?

悪あがきとしても、それくらいはやっておきたい。早速再開です。

それから、食生活にももっと気を配るべきかしら。

 

そして今改めて考えてみたら、毎日自由にしている今の生活も、考えようによっては張りのない毎日と言えるのかも。

自分なりにやりたいことをやって、社会とのつながりを持っているつもりではいますが、無意識では、一般的な勤め人ではないことに劣等感を感じているということもあるかもしれません。

だからと言って、安易に元の木阿弥に戻りたくもないし。

 

若いっていうのは、それだけで美しい。

その感覚が理解できるようになったということは、明らかに、若くはない証拠。

若さという魅力が確実に失われていくなら、そこを埋めるのは努力かしら。

もちろん、取り繕う努力ではなくて、本質的に磨いていくという努力。

まずは、ちゃんと毎日鏡に向き合うこと、をやってみようかな。