気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

別れ

ミニマム思考の私は、対人関係もミニマム。

要するに、お友達がいません。

 

会社などで毎日のように顔を合わせていても、必要なこと以外は会話もしないため、一歩外に出てしまえば他人。

一度その集団から離れてしまえば、もう会うこともないのです。

ごくたまに、個人的に連絡を取り合ったりすることがあっても数回で終わり。

拒絶しているわけではありませんが、好意的ではないので、同じことですね。

過去の知り合いと、断続的に関係が続いていくという感覚がわかりません。

 

そういう習性の人間なので、特にそれが困るとか、友達がいなくて寂しいとか、そんなわけではないのですが、自分の人間性の幅を広げるためにも、もう少し積極的に人と関わっていったほうがいいのかな、と思わなくもありません。

 

今回の退職と事故では、改めて自分の人間関係を見直す機会となりました。

職場の人とは、そのままお別れするのはいつものことです。

唯一仲良くしてくれていた方とは、連絡は取り合える状態にはありますが、お互い社内の話しかしてこなかったので、また会う機会はあるかな、どうかな、というところです。

事故の話は、今後も関わりのある趣味関係の人などには、療養期間があることもあって連絡済です。

その時の反応で、いろいろ見えてくることがありました。

 

事故と聞いて素直にびっくりして驚く人、「へー」と他人事な人。

それほど親しいつもりはなかったのに、親身に連絡をくれる人。

近いと思っていたのに、そっけない態度で距離を感じた人。

 

感覚の違いもあるし、比べることではないのだと思います。

そういうことは期待するものではないし、さらには「心配してくれないなんて」と責めるのも違っているということはわかります。

それでもやっぱり、こういうときに感覚の似ている人、信頼できる人、自分も何かしてあげたいと思う人、というのが見えてくるものだなあ、と思いました。

 

別の世界に行くためには、今までの感覚を持った人間関係は足枷になると読んだことがあります。

変わることを否定されたり、自身も今までのままでいいか、と留まってしまうことで、変化を遠ざけてしまうそうです。

今私に訪れる別れも、きっと、次の新しい世界へ進むために必要な通過儀礼なんだと思います。

 

未知の不安と、過去になっていく寂しさと。

それでも、前を向いて進んでいかなくては。

生きている人間は、そうやって生きていかなくてはなりません。

 

 

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