気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

八方美人

誰にでもいい顔をするということは、誰にも責任を持たないということかな、と思いました。

 

誰にでも親切にするということとは、違いますね。

その場限りのお愛想だったとしても、なんとかしてあげたいという慈悲の気持ちからだったとしても、中途半端で無責任な言動は信頼を失うと思います。

 

私は、なんとかしてあげたいという一見清らかで尊い行いこそ、罪深いものだと思っています。

 

意地悪な考え方ですが、自分だったらなんとか出来るかも、という過剰な自意識、助けてあげるという自己満足感が少なからずあると思うからです。

 

出来る、という根拠があるなら、ただの親切として手助けしてあげたらいいと思う。

そこにはお互い様の気持ちがあっても、自分がなんとかしてあげた、という自覚はないはずです。

 

また相手を助けるために手を出すということは、相手にはそれをできるだけの力量がないと認めることと同じです。

そして自分にはできるという優越を見せつけることになるのです。

これも、それぞれ得意不得意がありお互いにカバーしあう関係であれば、それは共同作業ですから一方的になにかをしてあげるということとはまた違うと思います。

 

相手が乗り越えられるようにヒントを与えてサポートする方が、本人の経験となってより相手のためになることもあります。

 

なんとかしてあげたい、というと、いいことをしているつもりになるし、側からもそう見えます。

だから、かえって厄介な心掛けだとも言えると思うのです。

 

関わる時は最後まで責任を持って、相手のためを思って本当に必要な行動をしたいと思います。

 

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