気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

セルフイメージ

自己啓発の本に、なりたい自分を想像して着る服を選ぶ、と書かれていました。
それが、私にはずっと、ピンとこなかったのです。

服にはTPOがあって、パーティドレスで犬の散歩には行けないし、そこまでじゃなくても、仕事や運動の往復に、わざわざハイヒールを履いては出掛けないと思うのです。
そこまでやってこそ、というなら、できない私が未熟なのでしょうか。
でも一応、値段で妥協買いはしないとか、着心地や機能性で選ぶとか、自分にとって意味のあるもの、価値あるものを選ぶようにはしてきました。

そういうことで、日常の小さなストレスは減ったと思いますが、だからといって、なりたい自分に近づけたか、と言われたら、どうだろう?
あまり変わっていない気がします。

シルクのパジャマを着始めた頃は、毎日気持ちがよくて、嬉しかったのを覚えています。
でも、今では慣れてしまって、いつもの感覚。特に感動もありません。

そんなことすら忘れていた、先日。
また、化粧品をどうしようか、悩んでいたときのことです。
私は化粧ブランドにも、好みがあり、同じようなものでも、例え他社が優れていたとしても、化粧品はブランドイメージも含めて、好き、と思えるところのものしか買いません。
洋服もそうだと思うのですが、買い物ってそういうものなんだなーと気がついたのも、それでいいんだ、と思えたのも最近です。
巷では、プチプラ、と呼ばれるお手頃価格のものが溢れ、品質も侮れません。
なぜ、そっちじゃダメなんだろう、と、いつも自問しながら、迷いながらの選択でした。
なんとなく、そっちのほうが好きだから。高いほうがちゃんとしてそうだから。高いほうがいいって言われているから。
なんとなく、で倍の金額を支払っていいのか。これは浪費か投資か。上を見ればキリがないし、よりよいものを選ぼうとすれば、この金額だって、妥協買いと言われてしまうかもしれません。
なぜそれを選ぶのか。自分でもよくわかっていませんでした。

それが、ふと、これが好き、というのと同じように、これを使っている自分が好き、という気持ちに気がつきました。
これって、かの、セルフイメージというもの?
例えば、シャネルのブランドを素敵だな、と思うことと、自分が持ちたいと思うこととは、どうも違います。
エルメスこそ一流品だから、と思って持ってみても、なんだか馴染めなかった自分がいます。
OLブランドは覗きもしないけれど、ユニクロでもよさそうなセーターを、デパートで買ってみたり。
そういう、自分の『なんとなく好き』というのは、それとともにある自分が想像できるとか、それに似合う自分になりたいとか、そういうことに繋がっていて、それこそ、セルフイメージってことなのかもしれない、と思ったのです。

金額どうこうというよりも、自分が持ちたい、使いたい、纏いたい。
そういう気持ちになれるものは、買っていい。
ただ、必要に迫られて買うものとか、これで充分、と思うようなものは、それで充分。無理して高いものを選ぶ必要もないんだろうと思います。
高価だから、人気だから、というのは、自分のにとっての価値ではなく、ただのミーハー。好奇心を満たすものならいいけれど、そういうものを使ったからといって、自分のセルフイメージが上がるわけではない、ということですね。
またひとつ、選択の基準が見えたようで、迷うことが減りそうです。

セルフイメージということで考えるなら、とにかく好きな洋服を着よう、とか、そういう意味ではなかったんだろうと思います。
合理的な服装を、好きでやっているなら、それが私。それでいい。
毎日履けないから、高いから、と好きな靴を諦めるのは、ナンセンス。
化粧品も、自分が使って気持ちいいもの。見るだけで嬉しくなるもの。それを使う自分が想像できるもの。使い続ける自分が好きだと思えるもの。
高くても、そういうものを惜しみなく使えることが、セルフイメージを上げていくんじゃないかと思いました。