気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

夏物大処分

秋分の日を過ぎて、この長雨。
すっかり秋です。
この流れで、夏物大処分を行いました。

この間からずっと悩んでいた、服の入れ替え。
今年買ったものは、まだ傷みも少なく、着ようと思えば来年も着られそう。
でも、本当にそれでいいのかな、と思っていたのです。
そんな時、ふと思ったのが、去年の私と今年の私は違う、ということ。
そしてもちろん、来年の私も今の私とは違います。
それなのに、どうして同じ服を着るんだろう、と。

体型が変わらない、服の好みが変わらない、傷みもないから、問題ない。
一見、当たり前のようなことだけど、考えようによっては、とても不思議なこと。
ヤドカリが、いつまでも同じ貝でいるということは、成長がないということか、あるいは窮屈な思いをしながら、居続けているのか。
人間も同じように、去年の服に合わせて、去年と同じところに居ようするのは、成長がない、あるいは、成長や変化を拒み、滞っている状態になってしまっているということ?
そう思ったら、まだ着られる、なんて、服に自分を合わせるようなこと、したくないな、と思ったのです。

リネンシャツ、リネンパンツ、半袖カットソー、柄スカート、ロングスカート、肌着下着の類も含めて、山盛り処分しました。

残りは、お出掛け用のワンピース3着とホワイトジーンズ。
冬用に出してきた、チェックシャツワンピース、白ニット。
捨て保留中のトッパーカーディガンとシアーカーディガン。
あとはインナーの白Tシャツ、タンクトップ、運動着のスウェットとサーマルTシャツ。

なんだか矛盾しますが、今着るものは、結局去年からの持ち越し品なのですが、まだ今年の着るものを買えていないので、いわば代用品?
来年からは、代用品もないので、とにかくなにか買わないといけない状況です。
 
だいぶ少なくなりましたが、なきゃないで、なんとかなるものです。
やっぱりワンピースは一枚ですむので便利だなー。
それ以外のボトムがホワイトジーンズしかないので、それでいいのか、と悩むところ。
黒っぽいものやスカートもあってもいいと思うのですが、欲しいものが見当たりません。
そして、必要とされる場面も思い当たりません。
あったらいいな、とは思うものの、ない、となればあるものを着て出掛けるだけ。
それでなんとかなるなら、それでもいいのか?とも思ったり。

私の場合、洋服を見られるお仕事をしているわけではないし、他人からお洒落に見られたいわけでもない。
とりあえず自分が着心地よく、自分らしくいられれば、それでいい。
そうしたら、いわゆる着まわし、というバリエーションは特に必要ないようです。
体調と天気、出掛ける場面に対応できる数枚があれば十分です。
足す、より、見極める冬にしたいと思います。