気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

捨てブーム

捨てブーム、再び。

これまで散々片付けをして、モノを減らし、洋服を減らし、もうこれ以上不用品はないだろう、と思っていました。

ところが。ありましたねーこんなにも!

私は、こんなにもゴミと一緒に暮らしていたのか。

私は、ゴミ同然のモノを身に付けていたのか。

衝撃の片付けです。

 

始まりは、ふと目にした、なにかの記事。

布モノには、悪い氣が留まりやすいというハナシ。

それまでも、徐々に洋服の整理基準を見直していて、数も減らしたし、早めに買い替えるようにもしたつもり。

でもそれも、着る着ない、気分、好み、傷み、など、目に見える範疇での判断です。

そこにさらに、目に見えない氣のハナシをされてしまったら・・・。

なんだか、どれもこれも汚れているような気がしてきます。

もし、これらが私の運気の邪魔をしているのだとしたら・・・と思うと、怖くなってしまいました。

 

そんなことまで意識すると、あまり着る機会がなくなっていた洋服は、捨てていいような気がします。むしろ、捨てたほうがいいような。

気に入っていたし、ブランド品だし、と、ちょっと「もったいない」と思う気持ちで残していたものも、捨てる覚悟ができました。

あと、いつ着るかわからない、と思ってスタンバイしていた肌着類。

着るものによって使い分けが必要な肌着類やタイツ、ストッキングなど、いざというときないと困る、と思ってとっておいたものがありました。これらも、決していい氣を放っているとは思えません。

 

そんなこんなで、大々的なお片付けとなりました。

もう、明日着るモノがないかもしれない、というくらいまで、捨てました。

でもまだ、本当に捨てたら困りそうなモノは、処分保留。

今着ているパジャマとか、ガウンとか。

でも、捨て候補に挙がる時点で、それってもうゴミ同然。

早く買い替えないと、と思いつつ、どうせ買うならいいモノを、と思って、ただ今絶賛準備中です。

 

私はずっと、洋服など、いいモノを永く、という価値観を実践しようと必死でした。

でもきっとそれは、私の本当の価値観ではなかったのかもしれません。その証拠に、いいモノとは?永くとは?と、ずっと迷走してきました。

自分の中の感覚と、理性との間で混乱していたのかもしれません。

それが最近、衣類も消耗品という当たり前のことを、ようやく実感できるようになってきて、布モノの考え方、付き合い方が大きく変化しています。

もっと自由に。もっとフレキシブルに。

「簡単に捨ててはいけない」「捨てられない」モノから「捨てていい」モノに変わったら、気持ちも軽くなり、きっと私にはこちらの感覚のほうが合っていたんだろうな、と感じています。

 

悪い氣が滞っていたかどうかはともかく。

私にこうした気付きやきっかけをくれたことには、感謝です。