気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

続く理由

前の職場をやめてから、早一年。

同僚だった方から、久々メールをいただきました。

唯一仲良くしていた人で、昨年の10月にお会いして以来です。

彼女の連絡はいつも会社名義の携帯で、私は彼女の個人的な連絡先を知らないので、こちらからの連絡は控えていました。

しばらく連絡がなかったので、もしかして退職されているかも、とも思っていました。

だったら、連絡先が別の人に繋がる可能性もあるわけで・・・。

失礼な話ですが、私が辞める前にも、彼女も進退でいざこざしたことがあり、最後に会ったときにも、私もいつまでいるかわからない、と言っていたので、未だに頑張っていることに驚きもしました。

 

私がすでに諦めて一線引いて淡々と勤める間にも、彼女は主義主張を持って周りとぶつかることもあれば、私に不平不満を漏らし、憤ることもたびたびでした。

私は愚痴や悪口は嫌いですが、彼女の考えとは通づるところがあるし、言いたいことはよくわかるので、そんな時間はよい気分転換になりました。

サッパリとした気性も、付き合いやすかったのだと思います。

 

ふと、その当時のことや環境を思い出して、あれほど文句を言いながらも、よくまあ続けていられるな、とか、もしかして少しはやりやすくなったのかしら、と思うも、そう簡単な状況じゃなかったな~と思ったり。

どうして彼女は続けられて、私は続けられなかったか。

比べられることじゃないけれど、そんなことを考えたりしました。

私と彼女の違い。

もしかしたら、そこで働くことの意味、なのかもしれないと思いました。

私があの職場で頑張ったのは、最終的にはお金のためでした。

仕事は好きだったけれど、それも、どうせ働くなら、という程度のもの。

その証拠に、働かずに生活をしている今、わざわざあの場所に戻りたいとは思いません。

要するに、あの場所にいたのは少なくともお金がもらえるから、という理由が一番だったんだろうと思います。

一方の彼女は、主婦で生活の不安はなく、お金がどうこうより、自分の時間を有意義に使いたい、という気持ちが強いのだろうと思います。

だから純粋に、顧客のことを考えて働き、会社のことを考えて行動し、自分のやるべきこと、やりたいことをあの場に求めて実現させるために邁進している。

それはきっと、自分のため。

 

世の中では、やりがい、とか呼ばれるものなのかもしれません。

自分なりのやりがい、その場所にいる意味。

結局はそういうものが、いちばん大切なんだろうな、と思います。