気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

区切り

一年が経ちました。

仕事を辞めると決めてから。

車にぶつかり打撲をしてから。

 

おかげさまで、後遺症もなく過ごしています。

交差点で横断歩道を渡るときは、車が向かって来ないように祈りながら、慎重に見回す癖ができました。

仕事の方は、無理して決めるつもりはなかったし、こんなもんかなぁ。

もっといろいろ、劇的な変化も期待していましたが、まあまあ相変わらずの延長です。

 

今は趣味に集中しているというか、それしかすることがないというか、そちらのほうは充実しているんだろうと思います。

あまり実感がないのは、今までの積み重ねの延長だからかな。

つい先日ひと山越えて、そういう意味でもひと区切りのタイミングです。

 

一般的に趣味としか言えないようなものでも、私にとっては、今はもう、なくてはならないもの。

飽きっぽい私がここまで続いていることもそうだし、時間的にも金銭的にも、私の中での最優先だと思います。

熱狂的に入れあげているわけでもないし、正直、なにがそんなにいいのか、と自分でも思うし、人にも伝えられない。

もう日常の一部で、好きも嫌いもなく、自分のやるべきこととして目の前にある感じ。

それが苦でなく続いているということと、たぶんこれからも続いていくだろうという予感。

とても静かな関係性です。

 

回りには、もっと熱く繋がっている人もいれば、細く長く繫がっている人がいたり、または、繋がりを絶ってしまう人もいます。

飽きる、向いていない、他に興味が移った、など、理由は人それぞれ。

ただ、続けたくても続けられない、という人も中にはいます。

もちろん、どんな事情だって、最後に「それ」以外を選択したのはその人の意志。

「それ」よりも大切なものができたということだけで、だから憐れむ必要もないんだろうけれど。

 

続けたかった、と少しでも思う気持ちがあったなら、続けていられる私は、少しでもその気持ちを引き継ぎたいと思う。

その人たちの分まで、私が頑張る。

まるで選抜出場する選手のような言い分で、まったく的外れな自意識過剰だとわかっています。

ただ、私はここで頑張るからね、ということで、私自身のモチベーションにつながっていくんだな。

続けていける環境と、体力と、気力が私自身にあることに、感謝します。