気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

叶えるために

願いを叶えるのが難しいと思うのは、そもそもの願いが何かを分かっていないから。

願いを定めるのが難しいのは、定めた、という基準、それから、叶ったと判断する基準が曖昧だから、だと思います。

 

出先でお腹がすいて、ラーメンを食べたいと思ったときに、ちょうどラーメン屋さんを見つけること。

アイドルになりたくて、オーディションに応募する、歌やダンスのレッスンに励むこと。アイドルにはなれなかったけど、歌の先生になってみんなから称賛され、周りを明るくする毎日が楽しくて仕方がないこと。

 

これは、どっちも願いが叶ったと言えるものだと思います。

ラーメンを食べたいと願う、食べて叶う。

みんなを励まし元気にしたい、という願いがあって、歌が好き、子供が好き、注目されるのが好き、という本人の特性と合わせて、相応しい立場を得て活躍する。アイドルという手段ではなかったけれど、より近くで笑顔を返される毎日に満足していること。

 

規模が違う、所要時間が違う、とベツモノと思いたくなりますが、たぶん原理は一緒なんだと思います。

だから、難しい。

 

なにを願いとするか。

どうなったら願いと認められるか。

いつ叶うか。

どの状態で叶ったと認めるか。

 

私の願いはアイドル、と思ったとしても、そんなの無理と周りから言われるかもしれない。

言われなくても、自分自身の無意識がどうせ無理と思っていても邪魔される。

自分の本質には、アイドルという偶像より身近な人気者の方が合っているという場合もあります。

そうすると、アイドルになれなかったほうが幸せだと言えるかもしれない。

 

かたやラーメン願望は、ラーメン屋さんでお金を払えばラーメンを食べられるのを知っている。

商店街の方へ向かえば、ラーメン屋さんくらいあるだろうと予想する。スマートフォンで検索してもいい。

少しの手間でラーメンを食べられると信じている。

本当はお気に入りのお店のラーメンがよかったけど、そこまでは求めない。今、ラーメンが食べたい。

結果、ラーメンを食べて満足、満足。

これもひとつの願いが叶ったかたち。

 

どんな願いでもいいけれど、叶うと信じること。心から願うこと。

自分にとって、正しい願いであること。

 

どういう願いを、どういう方法で、どうすれば、いつ実現する、ということを、完全に説明することはできません。

これは私の勉強不足か、人類の表現力の限界か。

今わかるのは、まずは自分の本当の願いを見つけること。

そして、願いは叶うということを、信じるより深く、理解し実感するようになることで、そこへ近づけるようになるんだろうということです。