気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

願いとは

願いを叶えるのが難しい、と感じるのと同じくらい、願いを定めるのが難しいのです。

そもそも、願いがなければ結果もない。

あるのは、世の中によくある予想と結果。その他大勢という結果。

 

もちろん、多数派でいてもいいのです。

みんなと同じサラリーマン。でも、自分が望んでそうしていて、そんな自分に満足しているなら、それはとても幸せなこと。

悲しいのは、自分はそうはありたくないのに、そうするしかないと思って我慢して一生を過ごすこと。さらには、自分が我慢して諦めていることすら気付かずに、一生を終えてしまうこと。

知らずに終われば、それはそれで幸せなのかもしれませんが、でもきっと、そういう人はいないと思う。

人は・動物は・あらゆるものは、本能的に自分本来の姿を求めるものだと思うから。

 

だから、違和感を感じて抜け出そうにも、どこに向かえばいいのかわからない。

願いがわからない状態。

願いがなければ結果もない。

願いが叶うなんて、確かめようもないし、試そうとも思わない。

 

願いがない、希望がない、こうなりたいと思う理想像がない、自分の目指す幸せがどれなのかが分からない。

 

この段階が、いちばん難しいと思う。

自分の幸せが分かって願いが定まれば、それが信念となって、自然と成就する方向へ向かう。

 

願いは叶う。

さて、その願いとは、なんだろう。