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気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

モノの価値

すっかりお買い物からは遠ざかっていますが、生きていくうえで、モノは欠かせない。

でも必要なモノと言えば限られているし、種類にしても、その中の選別にしても、何かしら手元に残る理由というのがあるはず。

まず自分の手元に来るまでにも、たくさんの取捨選択があります。

必要か、そうじゃないか。

高いか、安いか。

自分にとって、または、値段相応の、価値があるかどうか。

そういうことを想像して手に入れるわけですが、本当のそのものの価値が分かるのは、実際に使用して、さらに、使用し続けることができて初めて、なんだということを最近思います。

 

安いからと言って、必要のないものを買っても意味がない、という安物買いの銭失いはわかりやすい例ですね。

あと、一生モノと思って買ったブランド品も、月日の流れで使わなくなってしまったり。

壊したり失くしたり、というのも不慮の事故ではありますが、割りに合わないことだと思います。

 

そう考えたら、使う前に支払う値段、というのは、どう解釈したらいいんだろう、と思います。

今までは単純に、原価によってつけられたもの、とか、その他類似品と比較しての相場、あとは自分の総出費に対する相対比だったり、ネームバリューも関係あるかも、とか、そんな程度になんとなくしか見ていなかった。

売り場で値段を付けるのは売主ですが、それを活用して、価値を判断するのは自分。

ということは、モノの値段と自分にとってのそのモノの価値というのは、関係あるようでいて、実はつながりようがないんじゃないかと思ったります。

モノの良し悪し、価値は、値段では測れないものなんだなあ、と今更ながら感じます。

 

今私の手元にあるものは、理由があって、残っているもの。

それらはもう、買ったときの値段なんて関係ない。

使用する機会があるということは、どんなに高いと思ったものでも、たぶん値段以上の価値を発揮しているんだと思う。

そうしたら、モノを買う時に値段を判断基準にすることが、いかに意味がないことか、と思います。

それからモノに対しても、きちんと使ってあげたい、さらには、使えないものは手に入れるべきではない、とも思います。

 

今までのモノの選び方、お金の使い方について、反省するばかりです。

そして今も、わかったつもりになっていても、たぶんちゃんと理解はできていないと思う。

何しろ、使い続けなきゃわからないものだし、未来は不確かなものだから、思い通りになることばかりではないし。

モノの価値って、ものすごく不安定なものなんですね。

だからこそ、今手元にあるものを大切にしないといけないな、と思ったりします。