実家に思う
老親の実家の片付けって、たまにそういう話題を見たりします。
うちはまだそこまで老齢ではないし、身体も丈夫なので差し迫ってはいませんが、モノの多さはそれなりなので、帰省のたびにちょっとため息。
まだ父が亡くなって一年なので、片づけたくない気持ちもあるんだろうとも思います。
それから、家族で暮らした家だと、みんなのモノっていう意識があって、勝手に処分するのは気が引ける、という気持ちにもなってしまうのかなあ。
私のものはほとんど置いていないはずですが、昔の工作作品とかが何気なく飾ってあったりしたので、それは捨てていいと言わなくちゃ。
長い間置いてあるものは目が慣れてしまって、あっても気が付かない、ということがありますよね。
それに、たくさんあったものがいきなり何もなくなってしまうと、リバウンドのようにすぐ元に戻ってしまう気もします。
気分的に、喪失感を感じてしまうこともあるかもしれません。
本当に歳をとって、どうしようもなくなってから人の手で変えられるよりも、少しずつ身の丈に合ったサイズに慣れていったほうがよさそうです。
びっくりしたのは、私が高校生の頃の友人の連絡先のメモがまだ残っていたこと。
私だって、もうどこの誰だかわからないのに。
指摘するのも恥ずかしくて?そのままにしてきてしまいましたが、これはもう、私が勝手に処分していいですよね。
それから、母も私と同時期に湯シャンを始めて、今も続けていると言っていたのに、お風呂場には変わらずシャンプーボトルが・・・。
こちらもびっくりして何も言えませんでしたが、もう一年になろうとしています。
掃除はしてるみたいですが、容器の中でカビているんじゃないかしら。
よけて掃除する手間をかけるくらいなら、さっさと捨ててしまえばいいのに、と思うんですけどね。
自分の家ではないので口も手もあまり出さないようにしていますが、一応親子ということで、どこまで関わるか、というのが皆さん悩ましいところなのですね。
もったいないという意識もある年代なのでしょう。
と同時に、年齢とともに掃除に対する意欲も下がってくるもののようです。
生活年数とともに劣化や汚れも目に見えてくるし、住んでいる人間も無頓着になっていく。
老いとはそういうものか、と少しずつ実感しているところです。