集団の時間
ついこの間、ネット記事で目にしたこと。
「組織の時間」「個人の時間」それから「集団の時間」
なんのことかというと、仕事中の時間の分類。
「組織の時間」というのは、公に行われる開始と終わりのある会議のような時間のこと。
「個人の時間」というのは、それぞれの役割に基づいて、各自仕事を進める時間。
普通だったら、これで十分仕事は回りそうです。
さらに分けられているのは、組織でも個人でもない「集団の時間」
これは、たまたま居合わせた人たちで雑談混じりのおしゃべりをする、始まりも終わりもなく、なんとなく過ぎてしまう時間、仕事もしていないし会議でもない時間。
海外では、こういう時間はほとんどなく、日本特有のものらしいです。
ものすごくわかります。
そして、私はこの「集団の時間」が大嫌いです。
仕事というのが、ひとりで黙々と作業するだけではないことは、もちろんわかります。
連絡、打ち合わせ、問い合わせ、仕事中に話すことも、もちろんあります。
それが、例えば私と誰かが仕事の話を自席でしていると、必ず関係ない隣の席の人が会話に入ってきます。
「えーそんなことがあったの?それは違うよね。うんうん、それで?」
こうやって集団の時間を発生させて、広げていきます。
当事者の会話で済めば1分で終わるところ、さらに関係ない人にも返事をし、関係ない人の意見も聞き、さらには関係ない人に一部始終を説明する羽目になります。
そういうとき私は、会話の相手にだけ返事をし、相手しか見ません。
部外者のコメントは無視します。だって、誰もあなたに聞いていませんよ?
たまに、隣の人に尋ねてきた人との会話に「そう思うでしょ?」と巻き込まれそうになることもあります。
その時も、「さあ?」とか「そうですね」とか言って、終わります。
そういう場面でも、助言があったり、新たなヒントがあったり、有益なことがあることは認めます。
問題なのは、その時間をどう活かすか、だと思うのです。
概して、そういうおしゃべりを拡散する人は、そういった雑談を情報共有に役立つと主張します。
でも、情報というのは整理されて、活用されて、初めて意味を持つものになるのです。
そういうおしゃべり好きが「集団の時間」を有意義に役立て、自身のスキルアップに繋げ、生産性を向上させているとは到底思えません。
だから結局「集団の時間」はただの無駄なおしゃべり時間となってしまうんだと思います。