気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

性悪説

性善説と、性悪説

私は断然性悪説派です。

 

善く生きようとするのは、人間の本来の目的とか、義務だとは思います。

 

でも、ひとたび外に出たら性悪説を前提にしていかないと生きていかれません。

人間の生きる術だと思います。

 

仕事上では、特に。

いい人になって、自分が損な役回りになるのは好きにしたらいいと思います。

でも、詰めが甘いばっかりに会社に損失を与えるのは、ビジネスとは言えません。

 

バリバリに疑り深い私は、皆さんなんでそんなに楽観的にいられるのかと、不思議で仕方ありません。

うまくいったらいーなーみたいな、ギャンブル的発想で皆さん仕事しているんでしょうかね。

 

想定の範囲内という言葉が話題になったこともありましたが、最悪の事態を見越して、それに備えていくのが仕事だと思うんですよ。

あらゆる可能性を検証するためには、さまざまな事態を想像する力も必要です。

もちろん、すべてを回避するのは無理です。考え出したら何もできなくなっちゃう。

だから、どこまでなら許容できるかっていうリスク管理が大切なんですね。

その上で、コストも考えて備えていく。

 

これってビジネスばかりではなく、プライベートでも同じだと思います。

 

人を信じるって、素晴らしいことのように聞こえますが、信じるに足りる人なのかっていうことは常に見極めていかなければならないのだと思います。

 

裏切られた、と言いますが、それは自分に裏切られる隙があったということ。

ここでも最悪の事態を想定して、備えていくのが有効です。

どこまでなら融通できるか、相手を責めずにいられるラインはどこなのか。

 

これを殺伐として寂しいと思うか、自分を守る術と思うか。

自分が納得する方法で、お付き合いしてくのがいいと思います。

 

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