気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

ボウル その後

先日購入したガラスボウル。

人が来た時にサラダボウルとして使ってみました。

 

misaki40.hatenadiary.jp

 

私的には、イケるじゃん!だったのですが、目の前の人に同意を求めると、

そもそも厨房で使うものだからね?

大きなガラス鉢、あるなら使えばいいじゃない。

と、すごく当たり前に返されてしまいました。

 

・・・ちっ。

ミニマリズムのわからないヤツめ。

 

とは負け惜しみで、おっしゃることはごもっとも。

要するに、使いたくないものが手元にあることが発端なんですよね。

 

なければ、ボウルも使うかも知れないし、事前にお皿に取り分けるかも知れないし、ある中で工夫する。

でも、あるのにないふりをするのはおかしいかも。

 

あとは、気に入らないモノと決めて、さよならするかどうか。

ここで問題。

好きの反対は嫌い?

いいえ、好きの反対は無関心です。

うちにあるガラス鉢、実際好きでもないけど、嫌いでもない。

 

ここがモノとの関係の重要なところかもしれません。

どうでもいいモノがある。

けど、どうでもよすぎて視界にも入らない。

だから、モノがたくさんあるということに気付かないんですね。

 

あるのにないふりをするのはおかしいけれど、あるのを忘れて、ないなりに済ませてしまっていることはよくやっているかも。

 

もうひとつ、心当たりが。

コロコロ粘着テープの替えを必要があって購入する際、3本セットだったのです。

まあ、いっか。と買ってから、コロコロ自体全く使う機会もなくなり、それでもまだ予備の2本がいつまでも戸棚でコロコロしています。

 

これも、どうでもよすぎて、もはや考えることもありません。

使うかも、ということで置いてありますが、実際使ってないわけですから、必要ないんですよね。

 

こうやってモノって増えていくんだなぁ、と感心です。

気付いちゃったからには、どうにかしないと。

スペースはあるんだから、いいじゃない、といつも以上に優しい自分の声も聞こえます。

こういうときだけ、優しいのね。

 

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