ボウル その後
先日購入したガラスボウル。
人が来た時にサラダボウルとして使ってみました。
私的には、イケるじゃん!だったのですが、目の前の人に同意を求めると、
そもそも厨房で使うものだからね?
大きなガラス鉢、あるなら使えばいいじゃない。
と、すごく当たり前に返されてしまいました。
・・・ちっ。
ミニマリズムのわからないヤツめ。
とは負け惜しみで、おっしゃることはごもっとも。
要するに、使いたくないものが手元にあることが発端なんですよね。
なければ、ボウルも使うかも知れないし、事前にお皿に取り分けるかも知れないし、ある中で工夫する。
でも、あるのにないふりをするのはおかしいかも。
あとは、気に入らないモノと決めて、さよならするかどうか。
ここで問題。
好きの反対は嫌い?
いいえ、好きの反対は無関心です。
うちにあるガラス鉢、実際好きでもないけど、嫌いでもない。
ここがモノとの関係の重要なところかもしれません。
どうでもいいモノがある。
けど、どうでもよすぎて視界にも入らない。
だから、モノがたくさんあるということに気付かないんですね。
あるのにないふりをするのはおかしいけれど、あるのを忘れて、ないなりに済ませてしまっていることはよくやっているかも。
もうひとつ、心当たりが。
コロコロ粘着テープの替えを必要があって購入する際、3本セットだったのです。
まあ、いっか。と買ってから、コロコロ自体全く使う機会もなくなり、それでもまだ予備の2本がいつまでも戸棚でコロコロしています。
これも、どうでもよすぎて、もはや考えることもありません。
使うかも、ということで置いてありますが、実際使ってないわけですから、必要ないんですよね。
こうやってモノって増えていくんだなぁ、と感心です。
気付いちゃったからには、どうにかしないと。
スペースはあるんだから、いいじゃない、といつも以上に優しい自分の声も聞こえます。
こういうときだけ、優しいのね。