容量
受け入れ難い事柄について、知ってよかったと思うか、知らなければよかったと思うか。
私は、知ってしまったことを知らなければよかったとは思いませんが、
知らなくてもよいことが世の中にはたくさんあると思っています。
聞きたくないことでも知ってしまったということは、知る必要があったのだと思いますし、
なんでもかんでも知っている方がいいとも限りません。
中には、あらゆる情報、意見を集めて自分で選びたがる人がいます。
心配症の優柔不断タイプですね。
人には聞くだけ聞いて、結局なにかと理由を付けて、なにもしないという。
さらには、自分の都合でしか動きません。
もちろん、なにかを判断するときにはある程度情報は必要です。
でもそれは、あくまでも自分に選択権があるときだけです。
なんでも知っているからといって、なんでも思い通りになるわけではありません。
自分が選べる立場にないのに、あたかも選んでいる気になってあらゆる情報を集めようとすること。
私には、ただの無駄な努力にしか思えません。
その時間と労力を、本当に自分がやるべきことに向けるべきではないかと思うのです。
純粋に興味があって探究心で知ろうとすることと、なにかをコントロールしようとして恣意的に情報収集することは違います。
人は、他者にコントロールされることには敏感です。
なので、そういう人は嫌われます。
さらには知ることで、自分で勝手に背負い込み、自分で自分の首を絞めることもあると思います。
自分のキャパシティーを越える情報は持たない、求めない。
そんなことを私は心がけています。