気ままに生きよ

気ままに わがままに 自分らしく

やっぱりシルク

イベント準備でバタバタしています。



少し前、いろいろリセットしたくてパジャマを買いました。

春から使っていたSALON by PeachJohnのレーヨンシルクのリブキャミソールワンピースも、着心地がよくて気に入っていましたが、なんだか他が気になるようになりました。

まだ3ヶ月程度で、それほど劣化もひどくなく、不満はないのになんでだろう?と思いながら、でも自分の感覚を信じるのも大事。

そこでまた、シルクサテンのキャミソールとパンツのセットに戻してみました。


改めて着てみたら、やっぱりパジャマはツルツル素材がいいみたい。

シーツとタオルケットの間で、スルスル動けるのは気持ちがいいです。

そしてやっぱり着た瞬間のほっとする感じ。

これはもう、好みの問題もあると思いますが、サテンのツルっとした素材は、昔は私も好みませんでした。

でも、着慣れることで、シルクのよさがわかるようになってきたのかも。

それってもしかして、自分がシルクに相応しくなった、と言えるのかもしれない、と思ったりします。


シルクに憧れながら、高い、贅沢、そんなに変わらないでしょう?と言って自分に許さないのは、自分にそこまでの価値はないと言っているのと同じ、という考え方があります。

そういうなら、自分にシルクを許すことは自分を大切にしているということ、自分が高級品と思っていたシルクに自分の感覚が馴染むというのは、セルフイメージが上がったということなのかもしれません。

だったらいいなーと思いながら、快適な睡眠生活を送っています。


これまで寝巻きにしていたリブニット素材は、表面に凹凸があるからさらっと着られるし、伸縮性もあって動きやすいので、こちらは日中向きかな、と思って、パジャマから普段着に移行します。

よく聞くのは、外で着られなくなった洋服を、部屋着にするという流れ。寝巻きから外着への再生は、世の中の流れとは逆行しているかもしれませんね。

でも私にとっては、寝巻きってとっても大事。

お気に入りのパジャマでほっとして、眠りにつくのが一番幸せを感じる瞬間です。



リペクト

一生懸命書いた記事がどこかへいってしまい、不貞腐れておりました。

気をとりなおして。

 

マニキュアのはなしです。

もともと爪に色や飾りがあるのは目障りで、マニキュアはしない派です。

お出掛けの時ならいいですが、寝ても覚めても爪だけおめかししてあるのには、どうも違和感を感じます。

でも最近サンダルの季節になったせいか、ネイルの話題をよく目にするようになり、私も今年はサンダルを履くので、ペディキュアくらいはしたほうがいいかなぁ、と気になってはいるのです。

 

ふと見かけた、剥がせるネイル。

それなら、気軽に塗って剥がしてできるかも、と思いましたが、そこまでして爪に色をつけたいか、といえば、そんなこともなく。

ただ、みんなやってるのに自分だけやっていないというのは、手抜きと思われてしまうんじゃないか、という見栄っぱりの気持ちだけなのです。

そんな程度でわざわざ道具を揃えて、実際使うのか、と考えたら、自信がありません。

むしろ自分で楽しんでやらないのであれば、負担にしかならないように思います。

足指のためだけに買うのもなーやるかなー?とそちらもまだ迷いがあるので、結局まだ買っていません。

 

それでも、乾燥の季節が過ぎてもまだ、欠けたり二枚爪になることがあって、爪のお手入れの必要性は感じています。

そこで見つけたのが、リペクトネイル美容液。

 

 

 

まるで透明マニキュアのようですが、除光液不用。

でもちゃんとツヤは出ます。

マニキュアではないのですぐ剥げますが、薄付きなぶん、ムラや剥げが目立ちません。

私はアルコールウェットティッシュをよく使うので、すぐ剥げてしまうのですが、剥げても目立たない、重ね塗りしてもムラが目立たない、アルコールで簡単にオフできる、すぐ乾くから塗り直しも苦にならない、となかなか使い勝手がいいのです。

 

マニキュアのほうが見た目の華やかさ、強度的な保護感や維持率などはいいのでしょうが、塗る時のプレッシャーや技術、乾かす時間、剥げた時のみすぼらしい感じ、そしてなにより除光液の負担。

それに比べたら、私はちょっと手間でも爪に良さそうなほうを選びたい。

私にとっては、ネイルカラーよりも美容液の自然なツヤが、お手入れしている感が感じられて、テンション上がるのです。

今はこまめに塗り直していますが、飽きてきたら塗りっぱなしになりそう。でも剥げてもあんまり目立たないので、それもアリ、というのがまた魅力です。

 

 

頭からっぽ

頭をからっぽにする訓練をしています。

ひらめきを大事にするとか、第六感を鍛えるとか、潜在意識を活用するとか、そんなことだと思うのですが、色々考えて決めかねる、優柔不断なところのある私には、なかなか新鮮な感覚です。

ただ、考えることをやめると、わざわざ言葉にして綴るような内容がないので、記事にならない、というのが難しいところです。

何をするにも、思いついたからなんとなく、いいなと思ったから、と、それにまつわる話が膨らみません。

感覚だけを頼りに生きている感じなので、いちいち説明ができないのです。

 

今までだったら、読めない未来を想像して悩み、でも結局未来はわからないので、確実な選択はありません。正解のない問題を問い続けているようなものです。

自分なりの最善の選択をしたつもりで結果を迎え、それに安心したり反省をしたり。

過去の自分を採点しているような感じでもありました。

それが、何も考えないことにすると、今思いついたことがすべて正しいという前提があるので、何をするにも迷うということがなく、その結果がどうなろうと、それもまた何も考えずに受け入れるだけ。実にシンプル。

やっぱりこっち、と思えば、新たにやればいいだけのこと。

特に、自分のしたことの結果に一喜一憂することがないというのは、とても大事なことのような気がします。

自分を責めることなく、受け入れられている感覚。

こういうのを、自己肯定感というのかな、と思ったりしています。

 

迷ったり比べたりする暇がないというのはとっても身軽で、今まであれしてこれして、と計画をしていた間に、その用事が終わってしまっていることがほとんど。

今までずいぶん余計なことを考えていたんだな、と思います。

そして、雑念がないと、必要なときに必要なことが自然と浮かんでくる。

例えば、帰り道に今日はスーパーに寄ってあれを買わなきゃ、と朝から思っていたのに、帰りの電車でも考えていたのに、電車を降りたとたんに忘れてそのまま帰ってきてしまう、なんてことがあったのが、今ではそんなこと一日考えもせずに過ごしていたのに、電車を降りたら急に、あ、あれ買って帰らなきゃ、と思い出す、とか。

今まで買い物メモをしていたのに、それを見るのも忘れて買い忘れる、ということがありましたが、今はメモがなくてもスーパーで思いつくまま買うだけで、あれも買ってくればよかったーとなることがないという不思議。

すごく小さなことですが、これこそ、ひらめき脳の兆しだと思うのです。

今では、考える前にやってしまう。迷うようなら、やらなくていいことなんじゃないか、と思うようになりました。やらなくていい、と決めてしまえば悩むこともなく、そんなことはすぐに忘れて、また頭からっぽに。

今までは、行き当たりばったり、と好きではなかった行動ですが、次は何がでるかな、と楽しめるようになっています。

 

食パン

今更ながら、こだわり食パンを食べ比べています。
パンは昔から好きですが、やっぱりパン屋さんにいくと、つやつやテカテカしたパンに目を奪われてしまい、食パンまで買えないことがほとんど。
そして、パンならいくらでも食べられてしまうので、むやみに通うのは危険、ということで、パン屋さんに行くのはたまのご褒美の時!と自制しています。
スーパーのパンも日保ちがするとかメリットもあるし、そこまで不味いわけでもないし、と慣れてしまって、食パン人気の中でも、わざわざ並んで食べたいとまでは思わなかったのです。

それがつい先日気が向いて、俺のベーカリーの食パンを買って帰ってみたところ、シンプルな食パンの美味しさに改めて感動。
つやつやテカテカしたジューシーなパンに比べたらヘルシーなはず、と思いましたが、ふわふわのパンは手が止まらず、あっという間に胃におさまってしまうので、やっぱり食べ過ぎ注意です。
スーパーのパンのように、焼いたほうが美味しいというなら、その手間で我に返る隙もありますが、こだわりの生で美味しいというのも、なかなかどうして、善し悪しです。

ただの食パンを美味しいと思うなんて、私もオトナになったもんだ、なんて思ったり。
みんなが、日本人は白米よね、と思う感覚で、シンプルな食パンの美味しさをしみじみ噛みしめている感じです。






夏籠り

あああ。
ついに来てしまった、この季節。
梅雨、そして夏。
これからの3ヶ月は、とにかく忍耐、ひたすら黙って耐えるしかありません。

そんな憂鬱な気分と、あとはイベントに向けたカロリーセーブの鬱憤とで、ちょっと息切れ気味の近ごろです。
こんな時には、美味しいパン!
元気をもらいに、出掛けてきました。

他に用事はなかったけれど、もうしばらく外歩きはしないだろうということもあって、ついでに駅ビルなどもフラフラ。
最近服など買っていなかったし、見たら欲しくなっちゃうかな、と思いましたが、まったく食指が動かず、ほぼ素通り。
いいな、と思っていたロングなワンピースもたくさんありましたが、たくさん売っているということは、みんなが着るということ。低め維持していた欲しい熱も、それですっかり冷めました。

建物内でも歩いていればそれなりに暑いし、やっぱり夏は出歩くものじゃないな、と再認識したので、夏のお出掛け着を増やす理由もなくなってしまいました。
代わりに、出掛けないということは家時間が増えるということでもあるので、気になっていたパジャマや部屋着を買い足すことにしようと思います。

ひとり籠っていても何も変わらない!と叱咤する気持ちもあるのですが、こればっかりは。
無理して倒れても仕方がないので、夏の間はほどほどに、頑張ろうと思います。