5%の出会い
物事を成し遂げることが出来る人は、全体の5%なのだそうです。
定義や根拠が曖昧ですが、これを願望を叶えることが出来る人と置き換えてみます。
目に見えないチカラを信じることが出来る人。
占いなどを気にする人は割と多いと思うので、そういうことに興味がある人は、もっとたくさんいそうです。
成功本もあれだけ発行されているなら、読んでいる人ももう少しいそう。
それなら、やっぱりそのチカラを信じて活用している人、うまくいっている人が5%くらい、ということになるかしら。
私ももちろん、その5%に近づきたいと思っていますが、なにしろ少数。
近づけば近づくほど、孤立していく感じもします。
ただ、この割合の話を見たときに、なんの根拠もありませんが、少しほっとしました。
自分が信じることを、理解しない人が95%
自分の周りのほとんどの人と話が合わないということも、なるほど、そういうことなら納得です。
道ゆく9割の人と分かり合えないとなると、いっそ清々しく、我が道を行こうと思えます。
ものの本では、目標とする人と付き合いなさいと言われていますが、ほんの5%だと、簡単に出会えないのが残念なところです。
でもこれもきっと、類は友を呼ぶ方式で、そのうち出会えるんだろうなあと、楽しみにしています。
中和する
知り合いが一泊で温泉に行って来たそうです。
その間、なんだか体調が優れず、帰って来て熱を計ったら37度6分あった、という話をしていました。
その話を聞いたら、せっかくの温泉旅行、体調不良で可哀相、と思うのでしょうか。
本人も冗談半分でしたけど、ちょうどその日に発熱をするなんてタイミングが悪い、というニュアンスでしたから、そう感じていたんじゃないかと思います。
大勢での話だったので、私も特になにも言いませんでしたけど、ちょっと違和感を感じていました。
私だったら、悪寒がするような風邪のひき始めに温泉に入って温まれてちょうどよかった。そのおかげで、風邪も長引かずにすんだのかも。と思うのです。
もちろん、詳しい状況も、当人の本心もわからないので、私の勝手な意見です。
もし、そのせいで観光の予定が狂い、同行者に迷惑をかけたなら、それは私も申し訳ないし残念だと思います。
ただ、聞いた限りでは、近場に家族でのんびりっていう感じでした。
私が思うのは、振り返って話すときに、残念だった、と言うより、残念なこともあったけど、かえってよかった、と言ったほうが嬉しくなるんじゃないのかな、ということ。
よくいわれる、プラス思考というものなのかもしれません。
事実は変わらないし、体調不良でツラかったいう感覚もなくなりません。
当時、当事者でいるときに、ガッカリするのは当たり前のことだと思います。
でも、そのとき気がつかないことも、後から思うと違う側面が見えてくることもあると思います。
起きてしまったことは変えられませんが、後々の捉え方で、記憶はいいようにも悪いようにも変わります。
知人の話はほんの些細なことですが、普段からそういう見方をしていたら、風邪が一日で治っちゃった!という話にもなっていたんじゃないかと思います。
そっちのほうが、本人も聞く方も、気持ちよくいられますよね。
嫌なことは早めに中和してしまう。
そうできるようになれば、いろんなことがプラスマイナスゼロになって、落ち込むことも少なくなるんじゃないかと思います。
お金は手段
お金との付き合い方については、まず、お金についての考えをハッキリさせておかないといけません。
今の世の中、お金さえあれば大抵のことは事足ります。お金さえあれば安心。
そのニュアンスを少し間違えると、お金さえあれば!とお金自体に執着することにもなってしまいます。
本当は、素敵な家があって、美味しいご飯があって、大好きな人たちがいて、毎日楽しければ、お金なんてなくてもいいはずです。
欲しいものが願うだけで叶うなら、お金が手元にあるかないかは、どちらでもいいということになります。
私は、もともと貯金や節約が得意なタイプでした。
その分、お金の使い方が下手なんですよね。
お金を貯め込むということは、なくなる不安があるということ。
使うとなくなってしまう、というイメージだったんだろうと思います。
それが、お金がなくても願望が実現する、と思えるようになると、お金のあるなしはそこまで重要なことではなくなりました。
美味しいものを食べたい、と思って、無理して高級レストランに行かなくても、友人に振る舞ってもらって楽しい時間を過ごせたら、それはそれで幸せなことだと思います。
そういう場面を想像したら、お金がなければいけない理由もないし、お金があったらこうしたい、という順序も必要ないように思えます。
お金が必要な場面ももちろんたくさんあるだろうけど、お金がないからと言って得られないものばかりではない。
そこまで含めて、なんとかなる、と思えると、お金はあくまでも手段、という考え方もすんなり馴染めるように思います。
なんとかなる
会社に属してお給料をもらえたら安心。
公務員は安心。って、世間一般のイメージです。
その代わり、自営やフリーは不安定だからダメ。
これも一種の思い込みではないでしょうか。
大企業だって倒産するかもしれないし、法律だって変わるかもしれないし。
未来の可能性ということを考えたら、どっちも絶対安心とは言えないはずです。
フリーだから貧乏とも限らないし、安定しているから幸せとも限りません。
そういうふうに考えだしたら、大多数のイメージに左右されることが、とてもくだらなく思えてきます。
先のことはわからない。
どんな可能性もある。
そう思って、うまくいくことだけを考えていくのは、お金のことでも同じです。
ただ、お金というものについての考え方が、とても問題。
誰でも、お金があったら〜宝くじが当たったら〜って、夢をみることがあると思います。
でも、それじゃあ本当の願望は叶わない。
なぜなら、お金を持つことが最終目的ではないから。
お金は、すべての媒介なんだと思います。
大事なのは、お金を使ってなにをしたいのか。
むしろ、やりたいことさえ叶うなら、お金なんてなくてもいいくらいのものなんだと思います。
ちょっとした発想の転換。
でも、それがとても難しいです。
私も、いくら貯金が貯まったら、とか、考えていました。
でも、自分が本当にやりたいことにフォーカスしていって、その状況に近づくようになって思うのは、お金は後からついてくる、ということ。
当初、私の密かな退職予定日は12月末でした。希望の三千万円にはほど遠いですが、それまでに少しでも貯金を増やそうと思っていました。
月にいくら貯金して、退職時までにいくら増やす、と決めていました。
ところが勢い余って6月末での退職。
半年ぶん貯金しそこねたなーと思ったら、交通事故の慰謝料で、貯金予定相応額が支払われました。
願いがあれば、すべてはそうなるように動いていくものなんだろうと思います。
経済面も含めて。
だから、するべきことはお金の心配ではなくて、何を実現したいか、を考えること。
普通なら、仕事を辞めたら慌てて次の仕事を探そうとするんだろうと思います。
仕事が決まらないことに焦ったり、お金がなくなったらどうしようと不安になったりするんだろうと思います。
それなのに、私が今、のんびりと生活を楽しめる理由。
それは、なんとかなる、と思っているから。
なんとかなる、と思っているから、不安になることも焦る必要もないのです。
それと同時に、なんとかなる、と思えたからこそ、思い切って退職もできたんだろうと思います。
予感する
好きなことだけして、自由に暮らしたいなんて、なんてふざけた言いぐさでしょう。
学校の先生には怒られそうです。先生じゃなくても、世の中の大人は怒るでしょうね。
そう思うので、私も公には言いません。
でも、密かにそう思って、密かに実現しています。
これが、思いが実現するということなのかと思います。
働かなければならないと思えば、働く道を選ぶ。
働かずに生きる道を選べば、働かなくても生きていける。
働かない、という表現には語弊があるかもしれません。世間一般の給料をもらう働き方のことですね。
野生の鳥が餓死しないのだから、人だって生きるに困ることはないはずだ、という聖書の教えを思い出します。
そうは言っても、お金を稼ぐために仕事に就くのが当たり前、という世界しか知らない人間にとって、それ以外を想像するのはとても難しい。
私もそうでした。
特別な人でなければ無理だと思っていたし、自分はそうなれないと思っていました。
でも、どうして私ではダメなのか?
そう思う理由は?
私がそうなれない根拠は?
100%否定できないということは、少なくとも可能性はあるということではないでしょうか。
ここから、思考の枠を外す作業です。
可能性があるかないかと問われれば、ある。
いつ、どうやって、という予定がなくても、可能性としてはある。
それだけわかれば、充分です。
そこから、なんとかなる、という予感が生まれるのです。